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あの惨事から51年。あの日もきょうと同じ、とても蒸し暑い一日だったといいます。うるま市でアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童11人を含む17人が犠牲になった事故から51年になる30日、宮森小学校で追悼式が行われました。追悼式には、宮森小学校の児童を始め、遺族や卒業生などが出席し犠牲者に祈りを捧げました。

この事故は1959年6月30日、アメリカ軍の戦闘機がエンジントラブルを起こし、うるま市の住宅地に墜落。宮森小学校に突っ込み、17人が死亡200人以上がケガをしました。

追悼式では児童らが「私たちは誓います。二度とこのような悲しい、恐ろしい事故を起こしてはならない」「誓います。平和な沖縄を造ること、平和な心を磨くこと」と詩の朗読をしました。

遺族の新垣ハルさんは「死ぬかと思うくらい苦しかったです。子どもを失うということはとても辛いです。話したくないです。本当に。本当に話したくないです。二度とこういうことは起こらないでくださいと願っています」と話していました。

また、30日は地元の若者たちが手がけた絵本も完成し、児童に読み聞かせも行われました。

児童は「もう戦争は2度と起こさないように祈って、平和でしたいと思います」と感想を話していました。

あまりの悲惨さから長い間、遺族も地元の人たちも語りたがらなかった事故。半世紀を経た今、新しい世代に語り継ぎ、平和につなげていくことが確認されました。