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1945年に生まれ、今年65歳になった方たちが慰霊の日を前に摩文仁の丘に集まりました。
65年前のきょう6月22日。32軍司令部のある摩文仁の丘は完全にアメリカ軍に囲まれ、敗残兵のわずかな抵抗があるだけでした。日本軍の終焉の地であり、多くの民間人の犠牲を出した摩文仁の丘に1945年に生まれた子どもたちが集まりました。
名嘉山さん「昭和20年生まれの方は沖縄で9千人くらいいると聞いています」
集まったのは一期一会の会。多くの命が消えていく中で生まれてきた命。その数奇な運命を共にした者同士が毎年この時期に集まり、平和への祈りを奉げています。
伊良皆さん「昭和20年生まれって言いますのは、ほんとに自分の自宅で生まれた人少ないんじゃないでしょうか。私はヤギ小屋です。あるいは壕の中、それからサトウキビ畑の中ですよね」
新本さん「防空壕とかあるいはお墓とか、こういう全く予期しないところで生まれました。そういうことを絶えず親から言われてきました」
集まった58人は奇跡的に生き抜き、幾多の困難を乗り越えてきました。命の尊さを伝えるため、鎮魂の歌を作ったのは糸数さん。曲には若くして亡くなった母への想いも込められています。
糸数さん「戦争がなければ長生きできたはずであろう命が、その後失われていくということもあったわけです」
仲松さん「おできができて、もう生きないんだと言われました。兵隊がアメリカの兵隊がもう海に捨てようとしていたようです。それで母が泣きすがって、やっと難を免れたということを小さい頃に聞かされたものですから、本当に生きたことと生かされたことに感謝しています」
あす沖縄は慰霊の日を迎えます。