こんにちは。きょうは、敬老の日です。首長自ら本人の所に出向いて長寿にあやかっていました。
県内の市町村では、ことし百歳になったご長寿市民にお祝いの品を届けました。今年度、新たに100歳となる市民が40人いる沖縄市では、桑江市長は、100歳に迎える山城清輝さんのお宅を訪問。親族などが見守る中、市長は、国や県からのお祝い状や記念品そして市からのお祝い金を贈りました。
教員として戦後復興に取り組み市の教育長も務めた山城さんは、かけつけたひ孫・玄孫たちに囲まれ笑顔を見せていました。
山城清輝さん「元気でいるのはたいへんうれしいみんなにありがとうと申し上げたい」「(楽しみは)孫やひ孫たちと遊ぶこと」
島酒やヒージャーが大好きという山城さん、きょうはたくさんのお祝いの気持ちが届けられお腹がいっぱいだとにこやかに話しました。
「孫たちからみんなからも愛されて、とても幸せです」
ひ孫からもらったお気に入りの指輪を身につけた那覇市出身の久場須磨子さんは、大正12年生まれでことし5月に満100歳を迎えました。ひ孫たちと遊ぶことが大好きでカードゲームが始まるとその表情は真剣そのもの。
そして、歌や踊りも大好きで、十八番の持ち歌は10曲ほど。歌詞を見なくても歌えるそうです。
須磨子さん「十九の春」「私があなたに惚れたのは19の春でした。いまさら離縁というならば、もとの十九にしておくれ。もうお粗末(笑顔)」
早くに夫を亡くし、女手一つで子ども3人を育てた須磨子さん。現在では孫4人、ひ孫5人に恵まれています。
Q100歳を迎えて 久場須磨子さん「こどもたちみんなみんなに感謝。歳とって何もできなくなってますからね、感謝が第一です。だから何をするにも感謝感謝書くのが好きです」
知念那覇市長「おめでとうございます。(拍手)」
自宅に那覇市長が訪れ、須磨子さんに新100歳の表彰状や記念品を手渡し祝いました。
表彰を受けての須磨子さんの声「市長さんは写真で見るより若い。若くてハンサム、ありがとうございます」
緊張しながらも市長を前に顔をほころばせていた須磨子さん。地域を上げてのお祝いは、笑顔溢れる一日となりました。
1923年ってどんな年?ここからは、ことし100歳を迎えられた人が生まれた年、1923年を振り返りたいと思います。
まず、世界の出来事から見ていきます。この年7月、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで後のハリウッドの象徴にとなる「HOLLYWOOD」の看板が設置されます。
9月には、国際刑事警察機構・インターポールが創設。そして11月には、ドイツ・ミューヘンでアドルフ・ヒトラーが率いるナチスの一派と軍人がクーデター未遂を起こす、「ミューヘン一揆(いっき)」があった時代です。
では、国内を見てみると一番の出来事は9月1日に発生した「関東大震災」です。この地震による死者・行方不明者はおよそ10万5000人37万棟におよぶ住宅への被害が出ました。
そして、この年の沖縄での出来事といいますと、ことしワールドカップ開催でとても盛り上がったバスケットボールが沖縄に伝えられたと言われています。
ここまで、1923年がどのような年だったか振り返りました。