※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

「オキナワ1945・島は戦場だった」。物量的にも劣る沖縄守備軍が必死に守った首里司令部も、65年前の今日、本格的な南部撤退を始めました。

News Photo

22日に首里からの撤退を決めた沖縄守備軍ですが、牛島司令官ら主要メンバーの撤退は、今日、27日の夕方でした。

この年は遅い梅雨入りで、20日ごろから激しい雨が降り始め、その為、アメリカ軍の攻撃も弱まっていました。

司令部は5つに分かれて撤退を開始します。3グループは真っ直ぐに喜屋武を目指し、牛島司令官や長参謀長らはひとまず津嘉山へ戦闘指揮所を移します。

News Photo

師範学校生にとっては、司令部壕と学び舎が同じ場所にあっただけに青春時代を過ごした地を見捨てることに耐え難く、いいようもない怒りと悲しみを感じたといいます。

司令部を出る時は雨にも助けられ、アメリカ軍に気づかれずにすみましたが、やがて南へ移動する行列を発見したアメリカ軍は容赦ない激しい攻撃を開始。その為、兵士だけでなく、避難する多くの住民の命も奪われたのでした。

司令部壕から出る機会のなかった牛島司令官が、南部に向かう道中目にしたのは、無残な死体の山。移動中のトラックでじっと手を合わせる司令官の姿を目撃した人もいたそうです。