続いては、旬な人・モノ・コトを通して、沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」。きょうは、去年の本土復帰50年にあわせて企画されたこちらの本、「沖縄の生活史」の話題です。
みなさんは、親や祖父母など身近な人に、これまでの人生をじっくりと聞いたことはありますか?この分厚い本の中には、一般公募で参加した100人ひとり一人が家族や親戚、身近な人などに戦後の歩みを聞いたインタビューが収録されています。
県内では、今月20日に店頭にならんだばかりですが、SNSなどでの反響も大きく、すでに増刷も決まっています。インタビューの聞き手として参加した人の思いを通して、本の魅力を探りました。
幸地廣明さん(当時83)「中学出てからよ。やっぱし、親もいないから早くいい社会人なろうという頭があるもんだから、すぐ卒業式の前にね、もう那覇の軍に入ったわけよ。 靴磨きで。ハウスボーイやって」
吉本良子さん(当時97)「おじさんが呼んだわけ。父ちゃんを、テニアンに。兵隊にとられるから、沖縄にいたら兵隊にとられるからって、呼んだわけ」
別々の時間に、別々の場所で生まれた沖縄の人たち。
復帰の日は何してた? 田中美江さん(当時92)「復帰の時には何か那覇でやっていたんじゃない。何かあったと思うけど分からんさもうね」
比嘉幸保さん(当時66)「ドルから円に変わるからよ。(高校は)先輩後輩の差が大きいからよ。1人いくらずつ集めとけよっていうんだ誰かに。先輩方が来てからよ。その時に最初5セントとか10セントとか、1年ときに。2年生なったらよ100円とか200円に変わりよったよ」
30代から90代までの100人が経験した100通りの「沖縄の戦後」が1冊の本になりました。沖縄タイムス社が、去年の本土復帰50年の節目に実施した「沖縄の生活史プロジェクト」です。これは、沖縄に生きる人たちの人生を聞き取って文章に残そうというもので、聞き取りをもとに作成した原稿は、新聞紙面に170回にわたり連載されました。
この壮大なプロジェクトを担当したのが、公募による100人の「聞き手」です。
京都大学 岸 政彦 教授「僕はあの、息を止めて海に素潜りする感じに似てるなって、いつも思うんですけど、こっちは息を止めて、相手の人生の海の中にずっと潜っていく感じですね」
聞き取りは、生活史の研究で知られる社会学者の岸政彦さん監修のもと、沖縄の人の語りを、できる限りそのまま文字に起こすスタイルがとられることになりました。
京都大学 岸 政彦 教授「生活史のテクストって僕、楽譜やと思ってる。沖縄の人やと、沖縄の生活史読んで、多分口調がもうおじいが喋ってるそのまんまだよって思ってくれると思うんです。ほっといたら消えてしまう語り、残すことそれ自体に、僕はものすごく大きな意味と意義と価値があるっていうふうに信じてやってきました」
去年3月、生活史の聞き取りがスタート。聞き手たちは、それぞれ思い思いに「語り手」を選びます。座間味村の松田和(のどか)さんが選んだのは、当時92歳の田中美江さん。
聞き手 松田 和(のどか)さん(旧姓 山本)「おばあの人生史が、文字になって、本になって、誰かのもとに届く。ていうのが、多分すごくいいチャンスというかいいきっかけになるなっていうので」
和(のどか)さんは、親しみを込めておばあと呼んでいますが、ふたりは、家族ではありません。8年前、大学生だった和さんは、沖縄戦の聞き取り調査で出会った美江さんにひかれ、島に通うようになります。ついには大学院を休学し、3年前から美江さんが営む民宿に住み込んで、宿の仕事や身の回りことを手伝いながら、話を聞き続けてきました。
語り手 田中美江さん(当時92)「二本松の反対側の方で、特攻隊は死んでいる。これから高月山の番所のところ入口にもたくさん死んでいたよ、道のそばに」
沖縄戦当時、国民学校の高学年だった美江さんは、座間味島でおきた凄惨な状況を鮮明に覚えていて、生き残った者としての責務のように、戦争体験を語ってきました。
和さんは、美江さんを、戦争体験者という括りではなく、ひとりの人間としての人生を知りたいと強く願うようになりました。
聞き手 松田(山本)和さん「この人は戦争体験者で、その人が誰だろう、どんな人生かっていうことを気にせずに、体験者であるって思って、いろんな人に聞いてきたけど、やっぱ美江さんは戦争体験者だけども、でも田中美江という1人の女性で、何かそれを戦争体験だけを残すのって彼女たちからにしたら、失礼までは言わないですけど、なんかそうじゃないよねって」
沖縄の生活史の聞き取りでは、美江さんがふいに思い出す昔の記憶を丁寧に拾い集めます。
聞き取りのやりとり。美江さん「この歌、15番まであるんだよ」和さん「長いね」和さん「何のときに歌う曲?」美江さん「ただ座間味が、集まったら、私たち青年が、村の人は何かあるときに歌いよったよ」
聞き取りから、1年あまり。「沖縄の生活史」の出版を記念したシンポジウムが、那覇でひらかれました。会場には、座間味島から駆けつけた和(のどか)さんの姿も。
沖縄の人たち、100人の人生をおさめた本はとても分厚いものになりました。
Q誰に聞き取りされました?聞き手として参加「おばですね」「知らないことが多いなっていうことが、いっぱいわかったっていう感じですかね」
聞き手として参加「(語り手は)義理の母で彼のお母さん」「本になることを想定して聞いてくと、新しい話しがどんどん出てきて」
語り手の息子「いや、もう家宝ですね」
本を受け取った和(のどか)さん。
松田(山本)和(のどか)さん「この中におばあの語りが入っているのがもう」
急いで向かったのは、那覇市内の集合住宅。
松田(山本)和(のどか)さん「ヤッホー。あー髪の毛切ったね、おばあ。きれいになってる」
そこにいたのは、美江さんです。去年秋に体調を崩し、那覇に暮らす娘の元に身を寄せていました。
和さん「これ、おばあの生活史載ってる。ここ読める?ここの文字見える?ここ見えない、もう」美江さん「見えない」和さん「見えないね」美江さん「後で眼鏡買うさ」
本には、アメリカ統治下での暮らしぶりや、離島の出産事情など、美江さんの語りが掲載されています。
和さん「また6月くるからね、元気でいてよ。ずっと元気でいるんだよ、おばあ」美江さん「島のために一生懸命働いて」和さん「頑張るからね、おばあも頑張ってね」美江さん「うん」和さん「うん」
松田(山本)和(のどか)さん「今後、この沖縄戦の戦争体験が話せなく話せる人がいなくなってしまったときに、このおばあの生活史っていうか、これが残ったことがすごく何か意味があるんじゃないかなって信じてます。」
「後悔する前に、座間味で、あの戦争を体験してきた人たちに、もうほとんどいなくなっちゃってるけど、それでも聞ける人には、これをきっかけに頑張りたいなって、聞き続けたいなって思います。」
「おばあにいつも頑張ってねって、ずっと言われるんで、おばあが、褒めてくれるように、おばあに褒めてもらえるように、座間味でもこれからも頑張っていきたいなって、聞き続けたいなって、残し続けていきたいなって思いました」
「沖縄の生活史」に織り込まれた、100人の人生。別々の時間に別々の場所で生まれた、名もなき誰かの小さな語りが、いかに豊かなことか、そっと教えてくれます。