県内高校球児の聖地とも言われた奥武山野球場が今月3日「沖縄セルラースタジアム那覇」として新しくオープンしました。生まれ変わったスタジアムの様子を取材しました。
先週3日、那覇市民、そして沖縄県民が待ちに待った新生:奥武山野球場「沖縄セルラースタジアム那覇」がオープンしました。両翼100M、中堅122Mのスタジアムは興南の優勝に沸いた阪神甲子園球場(両翼95M、中堅118M)よりもやや広くその面積は、旧奥武山野球場の1.2倍内野席は15000人、外野の立ち見席を含めると30000人の観客を収容することができます。
3日の竣工式では県内の少年野球チームが早速練習を行いました。新しいスタジアムにみんな大興奮です。子ども達「新しくてでかい」「小学校のグランドの砂とは違う」子ども達がこのように語る内野の土はプロ野球の試合を想定し柔らかい黒土と砂を7対3で配合。外野は天然芝です。
1960年、県内初の本格的な球場としてオープンした奥武山野球場その後、様々なイベントが行われ、県民の憩いの場となりました。その奥武山の取り壊しが行われたのが2006年翌年から建設工事がはじまり3年半の月日をかけ沖縄セルラースタジアム那覇へと生まれ変わりました。
内原さん「これが目玉になっていますね」那覇市体育協会の内原さんがこう語るのがこの大屋根です。内野席およそ9000人分の日陰を作る大屋根が沖縄の強い日差しから観客を守ってくれます。試合を楽しむ快適な環境作りは他にもあります。
エキサイティングシートは、観客の目線ほどの高さに設置されていて、選手達のプレーをより身近に感じることができます。1・3塁側にややせりたって作られているエキサイティングシートピッチャーが投球練習するブルペンはもう目の前です。より興奮した試合を体感することができそうです。
また車いすの人や高齢者も利用しやすいようにエレベーターが1基設置、スロープからスムーズに球場に入ることができます。身障者用のトイレや授乳室も完備です。県内の他の野球場と比較してもっとも違いを感じたのがこちらのスコアボードでした。
他の球場では、実はスコアボードの中に補助員が入って得点の表示などを行っていますが、沖縄セルラースタジアム那覇ではこのようになります。チーム名や選手名などは全てコンピューターに入力されて表示ダグアウトの記録室から全ての操作を行うことできます。チームのロゴなども表示することができその色も鮮やか、発光ダイオード:LEDが使用されています。
一方1階には、投手3人がピッチング練習を行うことができる広いブルペンが設置、そして野球好きにはたまらない野球資料館が設けられています。展示は,1948年戦後まもない沖縄で行われた野球大会の際に使用した優勝旗(物不足からアメリカ軍のパラジュートを再利用して作られた)や、1958年首里高校甲子園初出場の際に使用したボール、甲子園初出場:首里高の健闘を祝って送られた手作りの応援ワッペン、1968年甲子園ベスト4に沸いた興南旋風、当時使用したパスポートや選手章、ウィニングボールなどが並んでいます。
内原さん「涙を流して思い出すお客様もいたので、今後子ども達から高齢者までいろんな方達が来場する資料館になると思います」
こちらの資料館、無料で毎日利用することができます。いよいよ来週、こけら落としとして読売ジャイアンツと阪神タイガースのファームチームがこの地で激突。
最大2000ルクスの明るさの照明はプロ野球公式戦のナイター試合も可能に、来年には読売ジャイアンツが春季キャンプもはります。県内野球界の様々なドラマを生んできたスタジアム新しい沖縄球史の幕開けです。あさって11日には、那覇高対首里高の対戦が行われるということです。高校球児にとって、新たな憧れの場所となりそうですね。