今を生きる私たちが、沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」。きょうのテーマは、お墓です。
ちょうど今の時期、清明で出かけた人も多いのではないでしょうか。沖縄には、今も暮らしの中に「お墓」にまつわる年中行事や風習が根付いていますが、その一方で、後継者がいないため、お墓が放置され無縁墓となってしまうケースも少なくありません。
お墓をとりまく状況が大きく変化するなか、今回は、急増しているの「墓じまい」の現場や、永代供養を選択した人々を取材しました。
人の背丈以上に伸びた雑草。よくみると、ここはお墓。後継者がいないなどの理由で、放置され「無縁墓」となるケースは後を絶ちません。そうした中、存在感を強めているのが、お墓の永代管理です。
那覇市は、市民を対象とした共同墓を運営。永代管理の合葬室は、およそ2万体の受け入れが可能です。お墓をどうするか検討中の人も多く、遺骨を5年間預かる納骨室は、すでに7割以上が埋まっています。
那覇市識名霊園管理事務所 佐久本守さん「5年が基本預かり期間なんですけど、5年に近づくとですね、どうしようどうしようと。お墓を継ぐ人も将来いないなと、難しいなということでですね、永代合葬室にですね、また申請し直して納骨する方多いです」
沖縄の人々が築いてきた、独特なお墓とそれを取り巻く文化。変化する今を見つめます。
照屋政子さん「もう本当にほっとしました。本当は預けるのは、自分でずっとみたかったですけど」
県内8カ所に、管理型公園墓地を展開する公益財団法人 沖縄県メモリアル整備協会。来年設立30年をむかえるこの財団によると、「お墓を新たに造る」よりも、「お墓をもたない」選択をする人が増えているといいます。
沖縄県メモリアル整備協会 東恩納寛寿さん「14~15年前はご先祖さんの心配をする方が多かったんですね。このままだとご先祖さんの供養ができないのでっていう相談が多かったんですけど、今は、子どもたちに負担をかけたくないとか、あの子どもたちに私達の難儀を継承することは難しいので、永代供養をして、自分たちの代で全てを終わらせたいっていう方が増えてきてますね」
もっとも人気が高いのが、永代供養の生前予約です。
沖縄県メモリアル整備協会 東恩納寛寿さん「赤と白の字があるんですけど、赤い字はまだ生きてらっしゃる方です。生前予約されてる方。白い字は、もうお亡くなりになって、こちらに埋葬されてる方々ですね」
永代供養で合葬される人の名前を刻む礎には、生きている人を表す、赤く塗られた名前が連なっています。
生前予約と並んで、関心が高まっているのが、「改葬・墓じまい」です。県メモリアル整備協会では、昨年度だけで361件に対応しました。
墓じまいを依頼した、うるま市の照屋政子さん。うっそうと茂った森の奥に、親から継いだ一族の墓があります。照屋さんは、86歳になるまで、この墓の管理や行事を取り仕切ってきました。
照屋政子さん「私ももう歳だから早くやっておかんと、これは。私が亡くなったら、子どもたちがわからないさ、全然。そのまま放っておいたら大変だからといったから、急に思い立ってからやろうと言って親戚に相談してから、やりますと」
親族が集まって、お墓の最後を見届けます。墓は、山の斜面に横穴を掘り込んだもので、落盤のおそれもあるため、スタッフが安全を確認してから作業に入ります。
中には、遺骨を納めた厨子甕が、ぎっちりと並んでいました。
作業員「ちょっと出すねー、小さいのからねー」
凝った装飾が施された陶器製の厨子甕。これよりもさらに年代の古い、石でできた厨子もあります。甕に書かれた文字は、先祖の生きた証にふれる貴重な手がかり。
親族「戦争で亡くなったみたい。昭和20年6月、戦争のため死亡って」
甕は大小あわせて23基、照屋さんの7代前のご先祖様までがおさめられていました。
照屋政子さん「私一番末っ子だから、この墓での。一番末っ子だからよ。こんないっぱい入っているの知らない。今しか中というのを見たことないから、もう本当にびっくりびっくりですね」
今回、運び出された遺骨は、永代供養のため、霊園の納骨堂へ。照屋さんは、お墓と一緒に、位牌も永代供養することに決めました。
照屋政子さん「ご先祖様に今までうちなんか見守ってくださいましてありがとうと、お祈りしました。もう本当、ほっとしました。本当もう預けるのは本当もう、自分でずっとみたかったですけど、でも年だし、もう今からずっとではできないね、こっちのお世話になった方がいいねと思って、考えて考えて考えての末です」
代々受け継いできた墓を自分の代で終わらせる申し訳なさと、次の世代に負担をかけたくない思い。長年の悩みにやっと折り合いがつきました。
沖縄県メモリアル整備協会 東恩納寛寿さん「何も先祖さんをないがしろっていうわけではなくて、もうひたすら皆さん口にするのは子どもに迷惑をかけたくないと。今まで何があっても、先祖崇拝だったものが、もうライフスタイルに合わせていこうよっていう、あの考えにシフトしてきてるなってのはすごく感じます」
お墓のあり方が変わる。これは、今にはじまったことではありません。
那覇市歴史博物館 鈴木悠学芸員「亡くなった人のためとはいえ、今を生きてる人間がどう考えるかっていうものが反映されていくので、18世紀台は、女性その嫁いだ先のお墓に入らないで、実家のお墓に入ることが多かったんですね。それがだんだん観念がですね、19世紀ぐらいになってくると、奥さんも嫁いだ先のお墓に入るべきだっていうふうに変わっていって、それで今のような形に変わってくんですけど、時代とともにどんどんどんどん、実は変遷していってるわけですよね」
かつて、岩陰や洞穴を利用してつくられた墓は、コンクリートなどの普及で、平地に建てられ、住宅地のそばに墓地が混在するようになりました。火葬の普及や、家族墓の増加なども相まって、墓は小型化。そして、永代供養など新しい形の墓が出現しています。
今月中旬、那覇の市民共同墓を訪ねると、参拝所は、清明に訪れた人たちで賑わっていました。向き合うお墓こそ、新しいスタイルですが、清明でごちそうを並べたり、手を合わせる姿には、違いがないようにも見えます。
清明に訪れた家族は。
娘「私の父が眠ってます」母「うちはですね、娘2人なんですよ、長男がいないので。もし何かあったとき、娘たちも負担かけたくないっていうことで永代供養にしました」母「先祖あっての家族だと思ってるので、先祖供養はあった方が絶対あった方がいいと思います」
50年後100年後にこういう行事が残るために何が必要?
母「私の場合、子どもに伝えることが意味があるのかなと思いますけど」娘「普段は何て言うんですかね、忘れることとか、親戚も集まることも少ないんですけど、こういう行事をすることによって、家族の絆とかが、毎年毎年なんていうんですかね、繋がれるっていうのが本当にすごいいいことだな、本土にはないから、そこがすごい沖縄のいいところだなぁって」
お墓のありかたは、家族によってさまざまです。沖縄のお墓、今後どのように変化していくのでしょうか。