1996年に日米両政府が普天間基地の返還に合意してからきょうで27年となります。国が「唯一の解決策」に掲げる辺野古新基地建設の見通しが立たない中で今も運用が続く普天間の周辺では住民が重い基地負担を背負わされています。基地のすぐそばの大学の研究室から見えた変化を通して、問題点を明らかにしていきます。
橋本総理大臣(当時)「普天間飛行場は今後5年ないし7年以内に、これから申し上げるような措置が取られた後に全面返還されることになります」
1996年の4月12日に行われた当時の橋本総理とアメリカのモンデール駐日大使の会談で、普天間基地の返還が決定されました。
橋本総理大臣(当時)「同時にこの決断は沖縄県及び沖縄の方々の強い要望を背景としてなされたものであります」
返還合意を発表する会見で、橋本総理は沖縄への配慮を強調しましたが、当時、県民からは歓迎よりも反発の声が聞かれました。県内の基地での代替ヘリポートの建設など基地の県内移設が条件とされたためです。
当時の県民「自分らが求めているのは最終的には全面返還ですけど、機能を移すとかそういうことで機能を保持しながら一部ずつ返還するのはやはり満足できる結果ではない」
県民の反発をよそに翌年、日米間の「SACO合意」を経て、移設先は名護市辺野古に決定されていきます。99年に名護市の岸本市長は15年の使用期限などを条件に基地の受け入れを決定します。政府も閣議決定で使用期限や軍民共用などをいったんは盛り込みます。
ただ、日米両政府は名護市などの条件を取り入れることなく、現行の移設計画を2006年に決定しました。2018年には土砂の投入が始まり、現在に至るまで埋め立てが進められています。
ただ、大浦湾側に軟弱地盤があることで地盤を固める大規模な工事が必要となり、防衛局は設計変更を申請しました。県はおととし、土木や環境の観点から不承認としました。現在、不承認の効力を巡って県と国の裁判が続いています。県の承認を得て工事を進めたとしても完成は2030年代以降にずれ込むことになります。
辺野古への基地移設の見通しが立たない中でも普天間基地の運用は続き、外来機は増加傾向にあります。沖縄防衛局の2017年度以降の調査では、普天間基地の年間の離着陸回数は1万8千回~3千回の間で推移していました。
注目すべきは、基地に所属する航空機以外の「外来機」です。2017年度に年間415回だった離着陸回数は、2019年度以降2千回を超え、3千回を超えた年もありました。去年度は2月までの11か月で2801回を数えています。わずか5年で7倍以上となっています。
普天間基地にはF-15戦闘機など嘉手納基地所属の機体をはじめ、山口県の岩国基地や海外の基地などからも軍用機が飛来しています。
防衛局はQABの取材に外来機の飛行について、普天間基地のオスプレイの訓練移転など現状の対策を説明したうえで「アメリカ側に対し、普天間飛行場周辺における騒音の軽減が図られるよう一層の協力を求めるとともに、可能な限り地元の負担軽減に努めてまいります」と強調しています。
ただ、オスプレイなど普天間基地の常駐機の訓練を県外に一部移転し、負担軽減策としても外来機の飛行が増えてしまえば、基地負担が減ったことにはなりません。基地問題を追ってきた沖縄国際大の前泊博盛教授は、実態とのずれも指摘します。
沖縄国際大の前泊博盛教授「データを見る限りでは、現実の被害の状況と数字のミスマッチがあるような気がしますね。飛んでまた降りてまた飛んで降りてあるいはホバリングをずっと続けてるとか、こういったケースもあるわけですね。ですからこの離発着回数その回数だけでは見えない、この現状があると思うのでそこら辺をしっかりとデータで取れるようなね、仕組みを作っていく必要があるのかなと思いますね」
前泊教授が講義や研究に取り組む沖縄国際大学は普天間基地のすぐそばにあります。校舎のベランダからは、普天間基地を見通すことができ、前泊教授は研究室から日々、基地の変化を観察してきました。取材をした日も、普天間基地に離着陸する機体のほか、宜野湾市周辺を嘉手納基地を飛び立った戦闘機が旋回する様子も見られました。
沖縄国際大の前泊博盛教授「向こうからも見えるみたいですけどねっこっちが。風向きによって音がかなり違います。こっちに風向きがあるときはものすごい爆音」
返還が決まっているはずの基地で新たな建物が作られたり、滑走路が改修・強化される様子も目にしてきたといいます。その中で生じたのは、基地返還への疑念でした。
沖縄国際大の前泊博盛教授「おそらく戦闘機の離発着も訓練もできるような、そういった基地の強化が進んでいるという。これを見る限り、もうやっぱりこれはまだまだ使われ続ける基地なんだろうなっていうのが非常に印象を強くしてますね」
橋本総理が1996年に「5年ないし7年以内」としていた返還期限はとうに過ぎました。政府は2013年にアメリカと合意した基地の統合計画で、普天間基地の返還予定を「2022年度またはそれ以降」としていましたが、最短の期限である22年度に達成されることはありませんでした。
政府が2013年に辺野古の埋め立て承認と引き換えに県に約束した普天間基地の5年以内の運用停止も果たされることはありませんでした。
沖縄国際大の前泊博盛教授「ときの(米国)大統領と首相が決めたことが実現できない日米同盟ってなんだろうというそんな感情をうけますね。政治の在り方として、両トップが合意をし国家的な約束事が実現できないということですから非常に深刻な問題だと思いますね」
完成の見通しが立たない辺野古新基地建設を、「唯一の解決策」と政府が繰り返し続ける中で、、普天間基地返還の約束は、何度も反故にされ続けてきました。基地の周りで暮らす宜野湾市民にのしかかる危険性はその間もずっと放置され続けることになります。
返還合意から27年たった今も解決の道筋が見えたとは到底言えない状況です。