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ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員された経験から戦争の悲惨さを語り継いだひめゆり平和祈念資料館の元館長本村ツルさんが、先週金曜日、老衰のため亡くなりました。本村さんが繰り返し伝えてきた「平和への思い」とは。

ひめゆり平和祈念資料館の館長を務めた本村ツルさん。沖縄戦で学徒として動員され、戦後、教師となり自らの戦争体験を語り部して伝えました。

きょう、浦添市で開かれた告別式には多くの関係者らが参列し本村さんを偲びました。

本村ツルさん死去/元ひめゆり学徒隊/記念資料館設立に尽力

ひめゆり平和祈念資料館の普天間館長は、今回の訃報を受けて、「本村さんの思いを次世代に引き継いでいきたい」と述べました。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長「戦後78年、本当にかけがえのない存在が失われていくけれど、私たちには彼女たちが魂を込めてつくり運営してきた資料館がある。これからも資料館を存続させ、未来にわたって戦争体験の継承に務めていきたい」

また、同じひめゆり学徒隊の証言員として、ともに活動してきた島袋淑子さん、仲里正子さんも思いを寄せました。

元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「学校時代、優秀で、全校生徒からの憧れの的でした。ほんとに、大事な人を失って、本当に悲しいです」

本村ツルさん死去/元ひめゆり学徒隊/記念資料館設立に尽力

元ひめゆり学徒・仲里正子さん「戦後は同窓会の先輩方といっしょに、沖縄戦を伝えなくてはいけないという思いで、資料館建設に取り組まれた。私たちの心の支えだった。悲しいけれど、安らかに眠られることを祈っている」

本村さんは、資料館の活動の中で、戦後生まれの若い職員の採用や育成など次世代へと戦争の記憶をつないでいくことに積極的に取り組んできました。

2年前、資料館がリニューアルされたときには、こんな言葉を語っていました。

2021年4月13日放送「ひめゆり平和祈念資料館 戦後世代によるリニューアルの裏側」 本村ツルさん「私たちができなかったことを今の若い人たちが頑張ってくれたと思うと、ただただ感謝するだけです」

1925年、那覇市で7男4女の長女として生まれた本村ツルさん。教師を目指して入学した沖縄師範学校女子部で卒業式を2日後に控えた3月23日、学徒隊として、陸軍病院に動員されました。沖縄戦時下においては、ひめゆり学徒隊の一員として、引率教師の補佐を担い、伝令や負傷した生徒の救護、死亡した生徒の遺髪取りなどに従事した経験があります。

2015年4月7日「戦後70年 遠ざかる記憶近づく足音 ひめゆり学徒 今伝えたい思いは」 本村ツルさん「(戦後)沖縄は捨石作戦だったということを聞いた時に私たちはその捨石作戦の中に入っていたんだなということを感じまして。」

終戦後は、県内の小中学校で教師として35年の間、こどもたちへ平和の尊さを伝えてきました。また、元ひめゆり学徒隊の生存者としてひめゆり平和祈念資料館の設立に奔走し、2002年から8年間、館長をつとめるなど、沖縄戦の体験を次世代に継承しようと尽力してきました。

そんな本村さんが生前繰り返し語ってきたのは、戦争で亡くなったひとの気持ちを背負い平和への思いを代弁することでした。

本村ツルさん死去/元ひめゆり学徒隊/記念資料館設立に尽力

2012年6月19日放送 「アニメ映画完成 ひめゆり学徒の戦争体験描く」 本村ツルさん 「亡くなった時の苦しいとか悲しいとか、たいへんということは亡くなった人でないと伝えられないんですけど、それを私たちが代弁して伝えている」

沖縄戦から78年、当時を知る体験者の高齢化が進み、その実情を直接知ることが難しくなってきている今、本村さんが伝えてきた平和への思いを受け継いでいくことが私たちの大きな課題ではないでしょうか。