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Qリポートです。先日沖縄市で体に様々な障害を持つ人たちによるコンサートが開かれました。病と闘い向き合っている人たちの音楽に対する思いを取材しました。今月14日 沖縄市の音市場で開かれたコンサートには、指笛や民謡・声楽、など様々なジャンルのアーティストが集まりました。

謝花さんの歌声「すべての人の幸せ祈りたい」参加したアーティストは、7組。筋肉が衰えていく「筋ジストロフィー症」や、視覚障害者ガンを患いながらも音楽活動を続けている人たちなどそれぞれがこのイベントに強い思い入れで臨みました。

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謝花さん「足は、きかないですけど歌がうたえたりだとか出来ることを数えたほうがもっともっと可能性は広がってこういう事をいろんな人にもわかって欲しいですしそれを感じて欲しいなと思っています。」

ハートフルフェスティバル 実行委員会 宮島委員長「進行性の病気を持っている方とか 今は、出来るんですけど来年はどうなるか分からない。今輝いてもらおう、今見てもらおうということで企画しました。」

この日、初めて大きな舞台に臨む人たちがいました。幕開けを担当する木下雅晴さんと 比嘉清順さんです。息の合った二人。実は、木下さんと比嘉さんは、二人で一丁の三線を奏でるコンビなのです。弦を押さえるのは、比嘉さん。比嘉さんは、2004年に脳出血をおこし、右半身に麻痺が残りました。その頃比嘉さんは、連日 三線の練習に明け暮れている時期でした。

リハビリ施設での比嘉さん「もうだめだと思ったんです。三線はというのは僕は、やってきてやがて(三線の)教師の免許を取ろうとしているところだったからね、」

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一方の、弦を弾いている木下さんは、2005年に同じく脳出血をおこし、左半身に麻痺が残りました。青年会でエイサーの地謡を勤めたこともあった木下さんですが、改めて三線を弾きたいと感じるようになったのも30年のブランクがあき、皮肉にも左手が動かなくなってからでした。

木下さん「信じられないですよ 手は動かない 左足は動かない歩くことは出来ない」「三線やりだしてからは、前向きになりました。これでリハビリにも一生懸命になれたのかなと思いました。」

それから二人は、リハビリ施設で出会い、同じ境遇の中、大好きな三線をどうしても弾きたいという思いから力を合わせて練習を始めたのです。練習は、週に二回。しかもデイサービスで行う1時間半だけです。

「うちでは出来ないよ 一人になると出来ないよ二人いないと出来ない。」演奏と歌声は二人が半身まひというのを感じさせないほどです。

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お年寄り「三線の音もねすばらしいかんしゃします二人ともコンビ組んでね一生懸命がんばっていらっしゃいます。」デイサービスの担当者 松田さん「とてもいいと思いますね、 歌も歌いながら 言語の練習しなら あと手も動かしながらね とてもいいと思いますよ」

本番では、二人だけの演奏ではなく、子どもたちや太鼓、そして踊り手とも息をぴったり合わせなければなりません。2年かけてレパートリーは、10曲以上。この日は、4曲を披露しました。心配していた早さもバッチリで会場からは、大きな拍手が沸き起こっていました。

比嘉さん「終わってからの感想だからこの右手がうまくコントロールきかんと非常に困っていたがね、これを二人三線という形で出来るということはこれも 一つの道じゃないかなっておもいますね。」木下さん「練習にも身が入りますし目標が出来ると楽しみはありますよね、いろんな人たちと競演して 力ももらえましたし」挫折を味わい、病と闘い乗り越えてきた人たち来年また元気で会えることを願いフィナーレを迎えました。

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女性「ホントにすばらしくて 泣いてはいられないなってかんじいっぱい元気もらえました。」男性車いすの方「自分も障害もっているんですけどそれぞれがんばって目標もっている人をみると自分もちょっとがんばろうという気持ちにりました。」

出来ないことを見つけ出すよりも出来ることで精一杯頑張るという皆さんの言葉に刺激を受けました。あきらめずに、好きなことを続けることでリハビリ効果にもつながるのはいいですよね。初めての大きな舞台に臨んだ木下さん比嘉さんですが、コンビ名も「てぃらしび(照らし火)」と命名し、さらに、早弾きのトウシンドーイにも挑戦したいと意気込んでいました。

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