※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
きのう2月14日は愛する人に想いを伝えるバレンタインデーでしたが、65年前のその日、久米島の儀間港は火の海となりました。
宮城幸信さん「どこからとも無く、入ってきて、また、出て行くものだから、どこへ行くのかなって僕ら子供心に思っていたんだけれども、儀間港から兼城港まで輸送船がいっぱいしておったんだよ。中継地点になっていたんでしょうね。」
およそ40人の死者を出した久米島、嘉進丸遭難事件から8日後、今度は儀間港に停泊中の軍用船3隻が沈められました。当時7歳だった宮城さんは目の前で目撃しました。
宮城幸信さん「やられて、炎上して、ちょうどみたら、船尾の方で船員が消火にあたっているのを、もうすぐ、目と鼻の先。びっくりして山に逃げてね。」
沈められたのは軍に徴用されていた漁船。南方へ軍事物資を運ぶためのものでしたが、死者はありませんでした。14日の空襲では、民家にも機銃掃射が加えられます。2月に入って毎日のように発令されるようになった空襲警報。それまで、一番の遊び場だった海は、戦争が終わるまで決して近づけない場所となりました。