先週、アメリカ軍キャンプ・ハンセンで行われた「日米航空機事故対応訓練」アメリカ軍機が基地の外で事故を起こしたという想定で日米の関係機関が互いの対応や連携を確認する目的で実施されました。7年ぶりに実施された訓練ですが、なぜ行われ、その意義はどこにあるのでしょうか?
先週、軍関係者や県警・消防から100人以上が参加して行われた訓練。海兵隊の航空機が飛行中に故障し、基地の外に墜落。日本の警察官や消防隊員が軍と協力しながら地域の住民を含む多数のけが人を搬送する想定です。
在沖米海兵隊基地ジョンローチ中佐「今回の訓練以外でも地方政府のリーダーたち危機対応機関と関係性を高めてよりよく対応していければと考えている」
日米のつながりを強めることを目的に2016年まで毎年行われ、今回7年ぶりに再開されたこの訓練。そのきっかけになったのが。19年前(2004年8月13日)、沖縄国際大学に普天間基地の大型輸送ヘリ・CH53が墜落・炎上した事故。
日本の民間地で起きた事故にも関わらず、アメリカ軍が現場を封鎖。地元の警察でさえ立ち入ることはできませんでした。この事故をきっかけに日米両政府は「在沖縄日米危機管理会議」を設置。基地の外で事故が起きた場合には、日米の関係機関が互いに初動対応の確認などを行うことになっています。
さらに事故の翌年(2005年)には、日米合同委員会が「基地の外での航空機事故に関するガイドライン」に合意し、現場に最も近い区域に設けられる内周規制線には、日米共同で人員を配置することを定めています。
こうしたガイドラインや訓練を通してお互いの連携を図るとしていますが、日米の安全保障について研究をしている、沖縄国際大学の前泊博盛(まえどまり・ひろもり)教授は、今でも立ちはだかる大きな壁があると指摘します。
沖縄国際大学・前泊博盛教授「(米軍による)事故が起こった時に調査権を行使できないというのが日本の日米地位協定の特徴ということになる、それが浮き彫りになったのが沖縄国際大学のヘリ墜落事故だったと思う」
その壁とはたとえ基地の外で起きた事故であっても日本側は事故の調査が出来ないとする日米地位協定の存在。
沖縄国際大学・前泊博盛教授「ヘリが墜落してはっきりしたのは日本側が米軍に対してものが言えない状況米軍側に対する規制・制圧することができない国内法を適用できない」
沖国大のヘリ墜落事故から時が経っても基地の危険と隣り合わせの生活は今も変わっていません。県のまとめによりますと1972年の本土復帰以降、アメリカ軍機の事故はおととし12月末までに862件にも上っています。
そのうちヘリコプターによる事故は152件、機種別では開発の遅れにより老朽化の危険性が指摘されているCH53が40件と最も多いのです。
内閣官房安留正樹 沖縄危機管理官「(アメリカ軍機の事故が起きた時には)日本側とアメリカ側で協力して対応することになっている具体的に役割分担がある訳ではないが救助・消火活動あるいは安全のための規制線の設置に対応することになっているので」「今回のような訓練を通じてそれぞれの事案に応じて日米が緊密に連携がとれるように対処能力の向上に務められる」
日米の関係機関がお互いの対応や連携を確認する目的で実施された今回の訓練。しかし、万が一、アメリカ側に提供しているエリア外で墜落事故が発生しても日米地位協定という大きな壁によって日本側に大きな制限がかけられる現状、そして、アメリカ軍機が民間地に墜落するという想定で繰り返される訓練について、改めて問い直す必要があるのではないでしょうか?
2005年の沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリが墜落した以降も、軍関係の航空機が民間地への不時着や名護市安部の海にオスプレイが墜落した際も、日米地位協定によって日本側の活動が大きく制限されました。
当時、沖国大のヘリ墜落事故を取材したメンバーによりますと軍が、機体や周辺の土を回収した後に、日本側がやっと調査に入る形となり、19年経ち、今、同じような事故が起きたときに日本側が機体や現場調査ができるのか?という疑問は残っていると。
日米が合同で行う訓練は今後、年1回のペースで基地がない市町村でも実施される予定ですが、根本的に問題は解決されないままでいます。