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65年前、日本軍は近づく地上戦に向けて地下の防空壕で生活するよう県民に要求します。
「横穴を増強せよ!」「日常生活は地下で!」
65年前のきょうの新聞には、それまで一時的な待機場所として使用されてきた防空壕を普段の生活の場とするよう日本軍が住民に求めたことが記されています。
那覇市の識名宮のすぐ裏にある防空壕。入口は2か所ですが、中で1つにつながるこの壕は全長が40メートル。戦争の足音が序々に近づく中、多いときで100人以上の住民がこの暗い壕の中での生活を強いられました。
当時の新聞には籠城作戦に備えるため、一般家庭への食料用のコメの配給量を減らし、農家には配給を停止するという記述も。
「欲しがりません勝つまでは」という生活統制の標語の下、軍部への批判は許されない雰囲気に包まれていました。