今年1月から、本土復帰について様々な角度からみつめてきたシリーズ「復帰50の物語」。ニュースでの放送は、きょうの第49話で最後となります。今回は、アメリカ統治下で青春時代を送ることになったある兄妹の物語です。ふたりがたどった2つのオキナワをみつめました。
朗らかで力強い歌声、宮古島出身のジャズシンガー・齋藤悌子さんです。沖縄が本土に復帰する前、日常にあふれるジャズの音色に魅せられた悌子さんは、アメリカ軍基地の中で、10年にわたってステージに立ち沖縄ジャズの黄金期を支えてきました。
ジャズシンガー齋藤悌子さん「一番青春時代に出会いましたからね、今でも家で聞くともう涙が出てしょうがないの、ジャズ聞くと感動しちゃうのね。あの頃の音楽が流れると1人で泣いてるの」
齋藤悌子さん「兄さん、わざわざ会いにきてくれたのよ」
悌子さんには、牧師をしている4つ上の兄がいます。兄はこれまで、妹のライブに行くことはありませんでした。
牧師 平良修さん「聴きに行ったことはありません。基地の中で歌っていることは、重々承知していました。基地に抵抗しているような兄と、基地に寄りそっているみたいな妹のね、少し違うんじゃないのっていう印象をね、外部の方々ちょっとお感じになっていたと思うんですけど」
青春時代を、アメリカ統治下の沖縄で送ることになったふたり。兄妹がたどった2つのオキナワをみつめます。
復帰前の沖縄で、「帝王」と呼ばれた高等弁務官。多くの県民が服従を強いられた権力者に対して、挑戦状とも言える「沖縄の思い」をたたきつけた人物がいました。牧師の平良修さん。ジャズシンガー齋藤悌子さんの兄です。現在91歳の平良さんは、沖縄市に暮らしています。
牧師 平良修さん「私、これです。これは民政官、弁務官」
56年前の1966年、第5代高等弁務官の就任式で、祝福の祈りを捧げるよう依頼された平良さんは、当時、沖縄のすべてを牛耳る最高権力者の前で、こう祈りました。
「最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように切に祈ります」
沖縄が異常な米軍支配から解放され、日本に復帰することを望んだ祈りに、会場は水を打ったような静けさに包まれました。
牧師 平良修さん「会場はね、静まってましたね。うわーっというね、うねりみたいなものはね無かった。静まってました。会場もびっくりしたんだと思います」「私は割合に平気でしたね、周りが心配したんですよきっと迫害が来るだろうと」
身の危険を冒してまで祈りを捧げた平良さん。そこに至るまでには、様々な人生の転機がありました。戦前、宮古島で生まれた平良さんは、軍国少年として「日本人以上の日本人」になろうとしてきました。
牧師 平良修さん「第一級の日本人としてね国に殉ずる。忠義の心の塊みたいなものにならなければ、差別からは解放されないという、そういうね逆境にオキナワンチュは置かれていたんですよ」
しかし、疎開先の台湾で敗戦を迎えたとき、台湾人のクラスメイトからの言葉に、日本人としてのアイデンティティーが大きく崩れます。
牧師 平良修さん「琉球以外の日本人に対しては仕返しをする。琉球の君には仕返しなんかしないって言うわけですよ。元々日本人じゃないんだからという意味でしょ。それが非常に私にはね、大きなショックでしてね」
「本当に信じていいものはあるのか」と問い続ける中、高校生のときに、宮古島でハンセン病患者への差別と闘った牧師と出会ったことがきっかけで、自らも牧師となった平良さん。1965年、アメリカ留学中に触れた黒人教会の集会に衝撃をうけました。
牧師 平良修さん「人種差別に対する抗議をするというような、激しいね、熱にね、動かされた集会だったんですよ。集会そのものが。このような教会のあり方があるのだということで知ったんです」「沖縄の教会が表現しないで内にこもらせているエネルギー、言いたいことがあるということがあるに違いないということでね」
基本的人権を求める黒人たちの叫びや歌声に、アメリカ占領下の沖縄の人々の苦しみを重ねた平良さんは、1966年、最高権力者の立場にあった高等弁務官の就任式で、あの祈りを捧げることにしたのです。
牧師 平良修さん「これこれこれ。これが私の祈りの原稿ですよ、日本語と英語。ずいぶん細かな原稿持ち込んだもんでしょう。たくさん書き直しのあるような原稿を持っていたの」
読み上げた原稿が、今も大切に保管されていました。勢いのある筆跡で、びっしりと書き込まれた文章。当時、キリスト教短期大学の学長だった平良さんは、就任式で祝福の祈りを捧げるよう依頼をうけると、一晩で原稿を書き上げたといいます。
「最後の高等弁務官になりますように」との祈りには、続きがありました。
牧師 平良修さん「高等弁務官をして、これら市民の人権の尊厳の前に深くこうべを垂れさせてください」
そのようなあり方において、主なるあなたへの服従をなさしめてください。イエス・キリストはその権威を、人々の足を洗う僕の形においてしか用いられませんでした。沖縄の最高権者、高等弁務官にもそのような権威のあり方をお示しください」
牧師 平良修さん「沖縄の住民をね、支配統治するという感覚じゃなしに、住民の足を洗う感覚でね、高等弁務官の職責を果たしなさいって私言ったわけです」
平良さんが祈りに込めたのは、人が人を力で支配するのではなく、人間としての尊厳が大切にされる世界でした。その6年後、沖縄は日本に復帰しました。
齋藤悌子さん「50年もたってまた同じ場所で、こうして歌えるということは、なんて幸せだろうと」
平良さんの妹・齋藤悌子さん。アメリカ統治下の沖縄で、日常にあふれるジャズの音色に心を動かされた少女は、基地のなかでジャズを学び、ジャズが人生の全てになりました。
そんな妹に対し、どこか冷めた眼差しを持ち続けてきた平良さんは、これまで、一度も、悌子さんのライブを聴いたことがありませんでした。
牧師 平良修さん「米軍にこびているような感じがしてね。あまり私は気持ちの上では歓迎できない。私の生活の領域と彼女の生活の領域が、同じ沖縄で同じ平良を名乗っているんだけど、どっか違うなっていう違和感はありました」
しかし、今年10月、会場に平良さんの姿がありました。悌子さん「兄さん。わざわざ会いにきてくれたのよ」兄と妹がたどった2つのオキナワが、交差しました。
牧師 平良修さん「基地に抵抗しているような兄と、基地に寄りそっているみたいな妹のね、少し違うんじゃないのっていう印象をね、外部の方々ちょっとお感じになっていたと思うんですけど、でもね、妹は妹で、自分の音楽という専門の場所でね、自分の専門を生かす場所としてね、その場が与えられていたわけですからね、よく頑張ってくれたと思っています」
さて、そんな「復帰50の物語」ですが、きょうが第49話でした。物語を締めくくる第50話は、この年末に特別番組としてお届けします。
特別番組「復帰50の物語」は、今月30日、金曜日、午後4時からです。ぜひ、ご覧ください。