復帰について様々な角度から見つめ、考える企画、「復帰50の物語」です。復帰前、沖縄の人達が目指していたのは『核抜き本土並み』『基地のない平和な島』沖縄の姿でした。
復帰から50年、今も沖縄全土に残る広大な「基地」について見つめ直します。
屋良朝苗(知事退任時の挨拶)「基地のある間は、沖縄の復帰は完了したとは言えない。『基地のない平和な島の回復』といった合言葉に照らしてみたときに、沖縄の復帰問題は、完全に解決したとは、言えないわけであります」
50年前、沖縄の人たちは、初代県知事となった屋良朝苗を筆頭に『核抜き本土並み』『基地のない平和な島』を合言葉に運動を続け、復帰を果たしました。それから50年、『基地のない平和な島』とはかけ離れた現実が、私たちの前に横たわっています。
米軍基地はこの50年で、復帰当時「87」あった施設は、「33」へと54施設減り、面積は「28660ha」から「18697ha」と約1万ha近く減少し、県土面積に照らしてみると12.8%から8.19%へと上減りました。
一方で、軍人・軍属などの人数は、復帰当時は約4万2千人だったのに対して、米軍が情報を提供していた2011年までは4万~5万人を推移しており、その数は微増している傾向があります。駐留軍の労働者数でみると、約2万人から8800人へと、1万人以上少なくなっていることも分かっています。
そして、復帰を果たしたことで沖縄には別の基地も出来ました。それは「自衛隊」です。この50年で、その施設数は復帰当時の「3」施設から「55」施設へと18倍増え、面積は「166ha」から「779.8ha」で4.7倍増加しました。
また、自衛官の人数は復帰から徐々に増え、2021年時点では、陸・海・空で合わせておよそ8200人となっていますが、今後さらに増えることが見込まれています。
本土復帰した1972年沖縄の基地の状況
ここからは、スタジオでさらに詳しく解説していきます。
こちらのモニターをご覧ください。沖縄が本土復帰した1972年の時点では、アメリカ軍の施設は「87」あり、その面積は、2万8660.8ヘクタール(286.61k㎡)ありました。その後、1973年から75年にかけて施設の返還が多く施設は「61」に減り、面積は、2万7047.7ヘクタールとなります。
少しずつ返還が進み、1992年に北部訓練場の一部が返還、1998年に国頭村の安波訓練場が返還され2006年に楚辺通信所・読谷補助飛行場が返還2007年3月末時点で、2万3300.1ヘクタールとなりました。
そして、返還の割合が一番大きかったのは、2016年12月、北部訓練場の4100ヘクタールあまりが返還され、2021年3月末時点、1万8697ヘクタールとなり、施設の数は「33」となっています。
しかし、重要な基地とされいている、嘉手納基地や隣接する嘉手納弾薬庫、キャンプハンセン、キャップシュワブを見てみますと、嘉手納基地では、これまでに提供された面積が2057.3ヘクタールに対して返還された面積は、71.1ヘクタールと全体の3.46%
キャンプシュワブでは、2105.2ヘクタールに対して返還された面積は、42.7ヘクタールと全体の2.03%となっており、返還の割合がとても少ないことがわかります。
さらに、キャップシュワブでは、現在、普天間基地の移設のための辺野古新基地建設が進んでいますので、仮に完成した場合は、およそ153ヘクタール増えますので、「基地のない平和な島」からは、かけ離れていくということになります。
アメリカ軍基地まとめ・復帰から50年間で返還された土地は約1万ha→依然として約2万ha近く基地は残されている・返還された土地の半分は北部に集中している→嘉手納基地や普天間基地などは進まず・新基地建設でさらに基地負担が増える
本土復帰で拡大する「自衛隊」の状況
沖縄が本土復帰し、施政権が日本になるとアメリカ軍の後に引き継いだのが、自衛隊になります。1972年5月15日に、アメリカ側から現在の陸上自衛隊・那覇駐屯地、うるま市にあります、海上自衛隊・沖縄基地隊航空自衛隊・那覇基地の3つが返還されます。その面積は、166.1haでした。戦後、沖縄における最初の自衛隊基地です。
さらに、1973年から74年にかけて、アメリカ軍が通信施設やミサイルサイトなどで使用していた本島や久米島・宮古島の基地を自衛隊が継続使用します。
県のデータでは復帰から3年経過した、1975年3月末時点で、358.7haとなり、およそ2.2倍と急速に増えていきます。その後も少しずつ面積が広がり、1982年3月に、那覇空軍・海軍補助施設が返還され、およそ228haを自衛隊が引き継ぎます。この時点で、1972年から自衛隊基地の割合は、3.6倍まで増えました。
そして、1990年代に入り冷戦が終わると、自衛隊の基地の拡大は横ばいとなりますが、中国の台頭、海洋進出が見えてきた2013年に防衛省が「防衛の空白地帯を埋める」目的として打ち出されたのが、いわゆる「南西シフト」でした。
とくに、陸上自衛隊の配備に積極的な国は、2016年には与那国駐屯地、2019年には宮古島駐屯地などさらに今年度内には石垣駐屯地(仮称)が配備されることになっています。県がまとめたデータでは、2021年3月末時点の自衛隊の施設面積は、779.8haと復帰の年から比べておよそ4.7倍まで膨れ上がっていることがわかります。
自衛隊基地まとめ・那覇市に特に集中している。沖縄にある自衛隊施設面積で占める割合43.8%(那覇市の8.2%)
米軍基地の返還跡地に自衛隊の基地が出来たこと復帰後に返還された土地のうち、約7.8%が自衛隊の基地となりました。
近年、特に宮古島、石垣島、与那国島への自衛隊配備いわゆる南西シフトが急速に進む。
返還後の跡地については、天久地区や北谷のアメリカンビレッジなど沖縄の発展に大きく貢献していることは言うまでもありません。『基地のない平和な島』を目指した復帰から50年。改めて、私たちに今、何が出来るのでしょうか。50年前に託されたこの宿題を、私たち、沖縄県民一人ひとりが向き合い、考え、行動を起こしていかなければならないと感じます。