那覇の中心部で戦前に存在した「湧田村」に遺構が発掘調査によって地中からその姿をあらわしました。
保存状態が良好で、当時の生活の様子などを垣間見られるだけでなく、琉球王国時代から続く歴史の一端をひも解く貴重な文化財だといいます。
那覇市文化財課・天久瑞香主任学芸員「一番最初に遺跡掘って検出したのは、戦前のそのままの状況、空襲で焼ける直前まで建っていた建物の跡になります」
きれいに石を敷き詰めた通路、形や大きさの違うものを組み合わせて造った石垣。那覇市役所のすぐそばにある開南小学校で行われた文化財調査で、民家の遺構が見つかったことから、先月、見学会が開かれました・
見学者「今回目の当たりにしてわかったんですけど、こんな遺跡がありありと見れるという機会は中々ない。自分たちの歴史の遺構遺物、これを観光客の方に見て貰えるようにしたらすごいいいことなのに」「那覇は開発とか空襲とかがあって中々建物が残ってないなかで、こういうのが残っているといううのがすごいと思いました」
那覇の中心地とも言えるこの場所で、保存状態がいい遺構が見つかったのか。地中に眠っていた歴史に目を向けます。
沖縄国際大学社会文化学科・宮城弘樹准教授「那覇市街地にあって、交通の便がいい場所だった湧田村というのがどういう場所だったのかということを良く表しているように思います」
見つかった遺構は戦前に存在した「湧田村」の民家で、明治時代から昭和初期ごろに建てられたとみられています。
「湧田村」は琉球王国時代に陶工の地として栄えていました。1617年に当時の国王「尚豊」の命で薩摩から招いた朝鮮人の陶工によって製陶技術が伝えられたことで窯業が盛んになり、この地でつくられた焼物は「湧田焼」と親しまれました。
独自の発展を遂げた技術は各地に広まり、現在の「壺屋焼」の原点とも言われます。
住居跡から隣の建物との境界を示す石積の塀や井戸、3基はあったであろう釜元の跡など、当時の暮らしぶりを感じられるものが出てきています。
那覇市文化財課・天久瑞香主任学芸員「こちらが、おそらくトイレだと思われる石組みの状況になります。こういう四角く囲われているような石が並んでいますけども、これが足を乗っける踏み石でして、おそらくこういう状態で足を置いてしゃがんで用を足す形ではなかったかなと考えられる所ですね」
「フール」と呼ばれる石積み、今でいう「トイレ」にあたります。当時は豚の飼育小屋とも繋げて人や家畜の肥えだめをまとめていたと言います。
天久主任学芸員「形はよく似ているので、もしかしたら豚を飼っていた可能性は完全には否定できないんですけど、那覇の市街地の方では『わーふるー』建てて豚を飼うのは禁止されていたということを聞いていますので、こちらでは豚はいなかったのではないかということも含めて検討しています」
今回の住居跡以外にも、開南小学校からは別の住居跡が出土しています。すでに体育館が建てられていますが、2年前の調査では池が施された住居跡が見つかっているのです。
宮城准教授「今回戦前の湧田村その一角が発掘されたことで、非常に興味深い成果があったと思います。なかでも令和4年度の発掘では、屋敷と道路と町の様子の一角がわかる。更に令和3年度、2年度のお屋敷と比べると、片一方は池があって片一方は池がなくてというような形で、屋敷の範囲も広い所と狭いと所という形、家の格が豊かさや経済状況がわかるような様子が垣間見えますので、そういうものを比較していくと面白いんじゃなかと思いました」
湧田村は港に近く、周辺には商業地が栄えた場所で、郊外である湧田村から商業地に通っていたのではと宮城さんは考えています。
宮城准教授「現在でも県庁所在地、直ぐ近くに商業施設が沢山ありますけれども、新しい沖縄県になったばかりの那覇の繁栄を支えた那覇市街地にあって、交通の便がいい場所だった湧田村というのがどういう場所だったのかということを良く表しているように思います。商業地で経済的にも豊かだったということが言えるのではないかと思いました」
36年前、湧田焼を生み出していた複数の窯跡も見つかっています。今回の調査はヤチムンの源流をたどる手がかりになったのでしょうか・
天久主任学芸員「直接的に繋がる湧田の古窯跡、古い釜の窯業の様子とかが直接繋がるような状況が確認されてる訳ではない。その後の歴史からみると、ここが市街地化していって、港も近いですし、本土とか商人がいっぱい入ってきたという話も歴史的にありますので、そういうことから考えてみても、お客さんをおもてなしするとかということはあってもいい」
地下から姿をあらわした民家の遺構は、再び埋め戻して報告書にまとめて記録だけが残ることになっています。保存状態が良かった貴重な文化財だっただけに、現地で保存することも考えていいほどだったと言います。
歴史の検証に欠かせない発掘調査の意義とは。
天久主任学芸員「一番はお宝さがしですね、お宝さがしと言っても皆さんがよく思い浮かべるのは金銀財宝と思いますが、昔の人の生活ひとつ一つが大事な宝だと思います。私たちが今住んでいる生活しているこの地面の下に、かつての人たちが暮らした跡が今も残っているというのを発見するのが、一個一個一つが小さいんですけど、全部宝だと思っている。それを探す役目を仕事をしていると思って、毎日頑張っております」
本土復帰50年という節目に脚光を浴びることになった湧田村の生活ぶりを伝える遺構は、沖縄の歴史をひも解く重要な鍵と言えます。琉球王国が積み重ねてきた歴史が、足元にあると思ったらあなたはどうしますか。