沈没した疎開船「対馬丸」の生存者の体験を聞いて〝二度と戦争を繰り返してはいけない〟という思いを新たにする講演会が11月22日、那覇市で開かれました。
平良啓子さんは「『お母ちゃん助けて、兵隊さん助けて、先生どこいった』ってあの夜の海に聞こえる悲鳴は本当に耳つんざくような音で」と話しました。
対馬丸事件の実相を正しく継承し、平和の大切さを考えるため生存者であり現在も語り部の活動を続けている平良啓子さんの話を聞く機会が設けられました。当時小学4年生だった平良さんは親族6人で対馬丸に乗り込んだあと魚雷攻撃を受けて船が沈没したことで一緒に乗船していた3人が帰らぬ人となってしまいました。親族と生き別れになってしまったという苦しみがいまだに残っていると言います。
対馬丸事件の生存者・平良啓子さんは「時子(同船したいとこ)は私が殺したんだと、私は被害者だと思ったら加害者だったんだというふうな思いになってしまう。生かされているのも、(亡くなった)子どもたちが『語れ、語れ』というから私は語らないとならないから、生きなければならない」と伝えました。
対馬丸の悲劇から78年、平良さんが自身の体験を話し続ける背景には「戦争を許してはいけない」という使命感があります。
対馬丸事件の生存者・平良啓子さんは「私生きてる間に平和を見続けることができるのかなと、子どもたち今教育受けているけど学校教育にも忍び寄ってくるような気がするんですよ、今、危ないです、教育も。そうやってじわりじわりと(戦争に)向かっていく世の中がないようにしてほしい」と述べました。小学校教師の女性は「生存者がいらっしゃらなくなってしまった今の子どもたちとか、そのあとにどうやってつないでいこうかっていう、生の声を聞くことの大切さというか、重みをすごく感じました」と話しました。
沖縄県内外から集まった約20人の参加者は、真剣な表情で当時の状況を鮮明に伝える平良さんの一言一言に聞き入っていました。