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77年という月日が経ち戦争体験を自らの口で伝えられる人が少なくなっているという大きな課題が横たわっています。こうしたなか、実感を持って考えるきっかけにしてもらおうと「劇」に落とし込んで体験者の言葉を”見える化”した新たな平和学習が注目されています。

永田さん「なかなか文字情報だけではやっぱり想像を補完することは難しいと思うんですけれど、実際に役者が演じることで、息遣いだったり、泣き声だったり、苦しいっていううめき声だったりっていうのは見ている人たちの想像力をよりかき立てることができる。それが平和劇の力ではないかと思います」

(劇の様子)役者1「誰が死ぬお前にするか?米軍につかまったら女はなぶり者にされて海に捨てられるだけだしな!」

(劇の様子)役者2「あれなんか(アメリカ軍)に言って!!!なんで(銃を)私たちに向けるわけ…!」

宜野湾中学校の1年生、200人あまりが目をそらすことなく固唾をのんで見入っています。劇を通して”沖縄戦”を学ぶイベントが行われました。

平和劇で市民の戦争体験学ぶ

戦争の悲惨さを再現した今回の「平和劇」は、沖縄を拠点に活動するプロの俳優たちが作り上げたものです。劇による平和学習は、2年前に始まり、年に4回、県内の中学生に行っています。

永田さん「戦争体験者の方が高齢化していくにあたって、当事者のお話っていうのがどんどん聞けなくなってしまう。それを”劇”という形で体験したことを残して若い人たちが演じることで残していけないかってところ」

企画したのは、動画制作などを手がける会社に勤める永田健作さんです。自身も2004年から2006年まで俳優として活動していた経験があります。

体験者に話を聞いたり、現場を見に行ったり、1つの劇ができるまで2年ほどかかるといいます。

永田さん「戦後70年以上たってもまだこう…苦しそうに顔も真っ赤にして、涙も目にためてお話されるその様子を見て、それをどうにか同じように形に残していけないかなと思って」

今回の劇は、当時、本島南部で沖縄戦に巻き込まれた大城勇一さんの体験を再現したものです。

経験した怒りや悲しみは一生消えることがないという戦争の非情さとそれでも語り継ぐ大城さんの姿に心を打たれ作品にすることを決意したといいます。

(劇の様子)大城さんに銃を向ける男「貴様、戦陣訓を知らんのか!」

劇では、降伏という選択肢を与えず絶望的な状況になっても最後まで命を賭して戦うことを刷り込んだ「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉がなければ無駄な犠牲を払わずに済んだという大城さんの後悔の念が形にされています。

(劇の様子)役者「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ、この言葉のせいで何人死んだかね…」

当時11歳で小学5年生だった大城さんは、父親と一緒に南部に避難した際、同じ壕にいた男性が「撃ち殺してほしい」と求めてきた姿が脳裏に焼き付いて離れないといいます。

体験者の心情がリアルにあらわれた演技が、生徒たちを一気に77年前へと引き戻します。”没入感”を重視する永田さんの平和学習には、証言の伝え方にも特徴がありました。

永田さん「北部に避難した方が生き延びる可能性が高いんじゃないかなと思った人は、この黄色いコーンに!」

戦時中、村民が迫られた選択と同じ問いを投げかけることで生徒たちを当時の子どもたちと同じ状況に置き自身が選んだ選択と当時、同じ選択をした体験者の証言を聞きます。

体験者証言「我々カエルも食べたし、ネズミも食べたし、夜な夜な人の取り残しの畑に行って、残ってるイモを漁って食べるとかね。戦というものは、我々小さいときにはどんなものかわからなかった。戦にあってみて、大変なことなんだと…この戦っていうのはね、絶対にやっちゃいけない。」

平和劇で市民の戦争体験学ぶ

永田さん「体験者のインタビューを見る機会ってたくさんある。ただなかなか自分事として見ることができるかって言われたら、ちょっと難しいところもあるのかなと思ったので」

自分に置き換え、想像させることで遠い存在だった沖縄戦を”身をもって”感じてもらおうというのです。

生徒「本当にこれが現実だったら…現地で見るのは本当に怖い」

生徒「見てて、声とかも大きくて…(7秒中抜き)すごい伝わってきて、なぜかわかんないけど勝手に涙が出てきてたりして」

生徒「戦争とか、この宜野湾村で…ちょっと心が痛かったです。あとからの世代に戦争の恐ろしさを伝えていきたいと思います」

体験者が高齢化して、忘れてはいけない教訓の風化が叫ばれるなか、 若い語り部の一人が突き進む「平和劇」に注目が集まっています。