沖縄の本土復帰を様々な角度から考えていく企画、復帰50の物語です。今回は、世界のウチナーンチュ大会に参加している海外のウチナーンチュに復帰など様々なことをお話を聞きました。
男性「韓国から来ました~!!」「アンニョンハセヨ~」「沖縄そば食べたい、ポーク卵も食べたいです!」
女性「同じくです。あとタコライス」
男性「カナダから来ました」「わんねー、うちなーんちゅ、やいびーん」
海を渡ったウチナーンチュが一斉に集う、その一方で・・・
アンジー・ポーティンさん「毎回かえってきて、本当にちむぐぐるの心を持ってる人がいっぱいいて、だから本当に私のホームですね」
仲間英子さん「沖縄の人たち、世界中に散らばっていてみんな活躍していらっしゃるんだなと思ってすごく誇りに思いました」
那覇市市場本通り、トクモト・ヨシさん「買い物ね」
トクモト・ヨシさんは1960年代にブラジルに渡りました。
トクモト・ヨシさん「これ買いましたよ」「孫にプレゼント」「ブラジルにはないからね」Q.60年前の沖縄ってどうでしたか?「その時は子供だったからあまりわからないけど、お父さんたちが大変だったでしょう。あの時は。アメリカ、アメリカ世だった」
Q.復帰前と復帰後で違いは?「それは知らない」「那覇でもね、ちょっと覚えてるけど、うんと変わってる。町の方ね。建物も全部ね。新しい建物がたくさん。」
大会期間中、出会った女性は…
ローラ・喜納さん「ウチナーンチュ大会と県立博物館での私のアートワークの講演のためにきました。」
ローラ・喜納さん、1973年、カリフォルニア州生まれ。曾祖父がサトウキビ畑で働く労働者として北中城からハワイに移住
ローラ・喜納さん「ええ、たくさんの家族がいるので(会いました)」どうでしたか?「素晴らしかった」
テロ)自らのルーツをたどり作品を制作するローラ・喜納さん。Q.沖縄とは?ローラ・喜納さん「帰り道であり、祖国であり、ルーツを見つける場所」
家族で沖縄の遺跡など、ひめゆりの塔をまわるグアム2世アンジーポーティンさん「今の3世、4世にこういうことあったんだよというのを教えたいんですよね」
14歳のときに一家でグアムに移住したアンジー・ポーティンさん。
アンジー・ポーティンさん「沖縄が返還されたとき、お父さんが軍関係の仕事してましたから、それで移民しちゃったんですよね、グアム島に」
グアム2世 ローズマリー・ポーティンさん「どっちかっていうと、しょうがなく行っちゃったような気がするんですけどね、親の事情で、沖縄にいられなくなったっていうか、仕事の関係もあるから」
アンジーさんの奥様もウチナーンチュ。
アンジーさん「同級生から色々話聞いたら、道路の変更、ドルの交換があって、いいのか、悪いのか、それは分からなかったですね結構変わりましたね」
島を離れ50年あまり変わらないものは・・・
アンジー・ポーティンさん「変わらないもの…やっぱし、沖縄の心じゃないですか、みんな。」「本当にここで生まれて育って、やっぱり沖縄のこと忘れないですね」