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世界各地からウチナーンチュが集結する、世界のウチナーンチュ大会。ハワイやアメリカ、南米などは沖縄からの移民が多く、「県人会」があるイメージも強いのではないでしょうか。今日は、ヨーロッパ・ドイツの沖縄県人会を紹介します。

(30日)前夜祭パレード アナウンス「ドイツから参加のみなさん、20名のみなさんが参加してくれているということです!めんそ~れ~、はいた~い!」

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「前は夜だったんですよね、私が参加したときは。(今回は)昼間で、皆さんの顔がはっきり見えて、皆さんに「おかえりなさい」と(言ってもらえて)すごい素晴らしいです。感慨深いです」

ドイツ沖縄県人会の会長を務める、外間久美子さん。ウチナーンチュ大会は、今回で2回目の参加です。

那覇市出身の外間さんは、高校卒業後、県外の音大に進学したあと、ピアニストとして活動していました。26歳のときに留学して以来、43年間、ドイツで生活しています。

世界のウチナーンチュ大会 ドイツ沖縄県人会

ドイツ沖縄県人会は、1989年に設立。現在は29人の会員が所属しています。新年会やBBQなど、年に数回集まって、情報共有をしています。ウチナーンチュ大会の前夜祭パレード。今回、ドイツから参加したのは外間さん1人でしたが、民族衣装を今風に、カジュアルに着こなし、沖縄在住のドイツ人やその家族と一緒にパレードに参加しました。久しぶりの大会への参加で、外間さんは、他国の県人会との横のつながりを求めていました。

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「同世代で、同じ県人会(の役職で)同じような悩みがあるって、そういう話をしていました」

(カリフォルニア)サクラメント沖縄県人会長 ドゥシャ―ム はるみさん「ちょっと心がゆるっとなったね、うれしいです。」

開会式の会場で交流していたのは、アメリカの県人会で会長をしている人でした。その日の午前中に別の式典で出会い、意気投合したそうです。アメリカは、ブラジルやハワイなどと並ぶ、多くのウチナーンチュがいる地域ですが、県人会を継続していく大変さを感じていて、その悩みに外間さんも共感していました。

世界のウチナーンチュ大会 ドイツ沖縄県人会

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「県人会長の後任(継いでくれる人)を探しているんですけど、なかなか…」

(カリフォルニア)サクラメント沖縄県人会長 ドゥシャ―ム はるみさん「後継者がいない、これが悩み」

後継者不足、沖縄を知らない世代が増えていく中で、どのように文化を受け継いでいくか、悩みはつきません。

外間さんは、大会のイベント以外にも、楽しみがあります。それは、那覇高校25期生の集まりです。この代は、「琉球政府立」那覇高校としての最後の卒業生です。(1972年3月卒)

高校の同期「(那覇高校)25期の(インターネットの)掲示板。これでとても素敵で載せてくる写真、散歩してるときの、風景の撮り方とか、そういう写真がとっても素敵で。自分がドイツの街を歩いてるみたいな、というところにとっても、刺激されて」

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「(高校同期は)もうなくてはならない存在ですよね。もうずっと(沖縄へ)帰る度にみんなで集まって、いろんな話をして、また私がコンサートするときにも、皆さん手伝ってくださって、支えてくださって」

外間さんはドイツで生活したことで、改めて沖縄の良さ・独自性に気づいたと言います。

世界のウチナーンチュ大会 ドイツ沖縄県人会

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「あなたのピアノってポルタメント(離れた音と音のつなぎめがなく、なめらかに聞こえる歌唱技法)が聞こえるって言われたことがあるんですよ。ドイツに来て初めてその故郷に目が向いたっていうか、民謡とか踊り・琉舞、空手とかそういうのを見るのが好きになったんですよね。でも知らないうちに入っている沖縄の音楽っていうのが、すごく私達に影響してるというか。音楽家としては、そういう私らしさというか、沖縄の地で生まれ育った私らしさが出ればいいかなと思ってるいるんですけど」

ドイツの県人会は、会員がドイツ各地に住んでいて、距離の遠さから、頻繁にあうことができないという課題を抱えています。いくつか支部を立ち上げるなど、現在、交流しやすい環境づくりを進めています。

ウチナーンチュ大会も終盤。外間さんは多くの人との「つながり」を大切にしながら様々なことを吸収し、次の世代に受け継いでいきたいと意気込みます。

ドイツ沖縄県人会長 外間久美子さん「やっぱり沖縄出身の方たちに会うと、心が通うというか、あたたかいというか、なごむというか。気取らないですよね、みんなね。自然体で会える。(世界の)ウチナーンチュ大会期間中は、できるだけ多くの方たちとの出会いがあったらいいなと思っています。とにかく若い人に(県人会へ)来てほしいですね。それ(方法を)これから考えていきたいと思います」