もうすぐ世界のウチナ-ンチュ大会、世界各地から沖縄にルーツをもつ人々が集まります。皆さんは、自分のルーツやご先祖さまについてどれくらい知っていますか?きょうの特集は、15年かけて先祖のことを調べていた男性の奇跡についてお伝えします。ご先祖様は、琉球王国時代の花火職人だったんです。
みなさんは、曾おじいさんや曾曾おじいさんの名前や仕事を知っていますか?家族の歴史をたどってみると、思わぬ発見や奇跡が待っているかもしれません。
屋比久伸也さん「すごく、ちゃんと生きなきゃなって思う気持ちが強く湧いてます」
那覇市で鍼灸院を営む、屋比久伸也さん。お墓の引っ越しをした時に、骨壺の厨子甕に書かれた名前を見て、ご先祖様への興味が湧きました。
屋比久伸也さん「もう祖父の名前しか知らなかったので、祖父の大祖父とか、そういった方たちの名前が全くわからないっていうところに大人になって気付きまして」
それ以来、15年にわたって親戚への聞き取りや文献資料を読み漁り、5代前の先祖が屋比久筑登之、屋号が「ヒハナジ」ということは判明。でも屋号の意味や、人物像にはたどり着けずにいました。ところが、去年、テレビで紹介されていた史料に、ご先祖様の名前を見つけたのです。
その職業は?
屋比久伸也さん「うちの先祖が琉球王国時代の花火職人だったということがわかりました」
琉球王国時代の花火は、中国からの使者である冊封使をもてなすために上演されたもので、「からくり花火」と呼ばれます。その復元に携わる茂木さんによると、花火は当時、とても貴重なものだったそうです。
国立劇場おきなわ 調整養成課 茂木仁史 課長「火薬がそもそも自由には使えないんですよ、琉球で。薩摩の出先機関があって、そこにお願いに行って、火薬をもらうわけなんですね。冊封のときはたくさんくれるんですよ、これをやる目的だから」「その貴重なからくり花火を成功させたいもんだから、花火の係りの者ってのはすごくプライドもあって、一生懸命競い合ってやるんですね」
王府の記録によると、1866年に花火を担当したのは、代々花火職人の安里と渡嘉敷、初参加の屋比久の3人でした。
国立劇場おきなわ 調整養成課 茂木仁史 課長「3人いる、あとの2人は親も花火職人だった、だけど屋比久さんは、親がどうだったかっていうことは出てこないので、初めて自分がやりたくてやったんじゃないのかなと思うんですけど」
屋比久筑登之は、中国に花火の修行に行き、最新の技術でからくり花火を制作しました。
国立劇場おきなわ 調整養成課 茂木仁史 課長「中国人が一番喜んだのは屋比久さんの作品に喜んで、冊封とは別に出張で演じてますね」
屋比久さんが、屋比久筑登之を自分の先祖と確信したのは、幼い頃に聞いた祖父の言葉を思い出したからです。
屋比久伸也さん「花火を一緒に見ながら、うちの祖父が実はうちの先祖は花火職人だったんだよっていうことは、ちょこちょことは聞かされたんですけど、まさかこんなふうにちゃんとした文献に載ってる人とは夢にも思ってなかったので、もう驚きがいっぱいです今」
恩納村の金城裕幸さんの工房です。ここでは、公演で披露するからくり花火の復元が行われていて、準備が急ピッチで進められていました。今年は、渡嘉敷筑登之の「四輪車」です。
復元を担当した 金城義信さん「今風のデジタルだと、ボタンを押すとすぐパチッと、すぐ火がつくので、それがやりやすいではありますけど、やはり、昔ながらの、150年前のやり方でという指定ですので、やっています」「本当に、先人たちはすごいなと。この一言に尽きますよね」
およそ150年前のからくり花火を現代に蘇らせようと奮闘する職人たち。その様子に、屋比久さんは、先祖の姿を重ねます。
屋比久伸也さん「色んな力でここまで持ってきてくれたのは、ありがたいですね。言葉を無くしてしまいました。すごくありがたくて、思わず手を合わせてしまいました」
公演初日。本番1時間前にも関わらず、特設野外ステージは、撤収作業がおこなわれていました。天候不良のため、急きょ、室内での開催に変更となったのです。さて、からくり花火は…
復元を担当した金城裕幸さん「花火を中止するということになりました。(中止ですか?)はい残念ながら」
残念ながら、事前に収録した映像が上映され、お披露目はされませんでした。公演2日め、晴れました。会場には、もちろん屋比久さんの姿も。万が一に備えて、全公演のチケットを押さえていたそうです。
自然の風を感じながら、特設舞台で繰り広げられる組踊。会場の雰囲気もクライマックスに達したところで、いよいよ、からくり花火の登場です。最初に現れたのは、石橋。そして、四輪車。火花を散らして疾走する様が実に見事です。
屋比久伸也さん「お客さんという感覚で見ることができなくて、どうしても主催者側というか仕掛け側に立ってしまうので、もうずっと天気とかそういうことが気になって、今きれいだったとかいうことよりも何かを安心感というか無事に終わって歓声も聞けてよかったなっていう」「ちゃんと生きなきゃなって思う気持ちが今、強く湧いてます」
屋比久さんの長女「もともと自分の中で沖縄の歴史とかってそんなに興味がなかったんですけど、今回このような舞台を見てすごいなって思ったので、ちょっと勉強してみようと思いました」
屋比久さんの先祖を辿る物語、ここで完結…ではありませんでした。新聞報道で屋比久さんの存在を知った、琉球王国時代の花火職人・安里家の子孫と会うことができたんです。
残るは、渡嘉敷家のみ。来年は、3人の職人の子孫で花火鑑賞ができればと夢は広がります。
自分のルーツを知りたいと、ご先祖さまの足取りをたどって15年。パズルのピースを、ひとつひとつ埋めていきながら、琉球王国時代に、先祖がみた光景や思いを、未来につなぎます。