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きょうの復帰50の物語では沖縄を代表する歌「月桃」に注目しました。毎年初夏になるとどこからともなく聞こえてくる歌で、本土復帰50年の節目を迎えた今年は歌碑が建立され、多くの人が歌い継いできたということを改めて感じることになりました。一度聞くと頭から離れない印象的な歌詞に込められた思いに迫ります。

海勢頭豊さん「戦争をしてはいけないとみんな内心は思っているはずなので、しないことが大事だということをこの歌を歌うことによって戦争しない勇気を子どもたちが持ってほしいと思います」

復帰50の物語 第26話 沖縄戦と向かい合い平和を願う「月桃」

慰霊の日の前後に各地で必ずといっていいほど耳にする歌があります。海勢頭豊さんの「月桃」です。

街の人「柔らかい感じがするので今の子どもたちにとってはちょうどいいかなという感じですね」

街の人「沖縄のイメージを出させてくれた曲なので、自分的にはすごく好きな曲です」

沖縄戦の犠牲者を悼み平和を願う歌が、誕生した地で新しく目に見える形となって次世代に継承されました。お披露目から1週間、絶えず歌碑を見に来る人の姿があり、「月桃」がいかに大切にされてきたかを垣間見ることができます。

歌碑を見に来た人「これはもう世界遺産にしてほしいわ、沖縄の人の心を代表している」「本当にこうして青春を散らしていった人たち、小っちゃい子どもたち、父や母はみんな亡くなったんだよって、これを口ずさみながら(ワラバーター)子孫に伝えていくべきだと思う」

濱元晋一郎記者「月桃揺れて花咲けば、この歌いだしで始まる月桃の歌、県内では多くの人に親しまれています」

街の人「曲の穏やかさに反して一生懸命生きていた当時の人たちの情景が思い浮かぶところがあったんで、確かそれで心が揺さぶられたというか、それで印象に残っていた」

街の人「(月桃を聞くと)またこの季節がやってきたなって、すごく思います」

街の人「沖縄の夏を思い出すよね、月桃っていうのはあちこちで夏になると花が咲く」

沖縄戦の悲劇と向き合い、平和を願う月桃の歌は毎年慰霊の日が近づいてくると学校などで歌われます。西原町に住むシンガーソングライターの海勢頭さんの代表曲で、本土復帰から10年後の1982年に作られました。

復帰50の物語 第26話 沖縄戦と向かい合い平和を願う「月桃」

海勢頭豊さん「(復帰10年たっても)復帰してよかったのか悪かったのかまだ誰もわからない時代で、ましてや戦争の傷跡が簡単に語れるわけはなくて質問しても戦世の話はならんってして、口をつぐまれてしまって、ふと石垣のところに月桃が咲いているのが目に入って、これだと思って」

鉄の暴風と呼ばれる艦砲射撃や激しい地上戦の行われた沖縄戦は、県民の4人に1人が犠牲となり、人が人でなくなった地獄と言われています。体験者の語るに語れない思いに触れた海勢頭さんは「戦争」や「悲しみ」という言葉をを使わずに、情景を語りかけるような歌詞と明るい曲調にすることで、子どもたちにも歌ってもらえるようにしたといいます。

海勢頭豊さん「思いを語るというのは非常に難しいそれよりはたくましく生きる勇気を持ってほしいと思って今の月桃の歌にしたんです」

復帰から50年という節目にあわせて、ことしは西原町に歌碑が建立されることとなりました。式典の9日前、歌碑を乗せたトラックが広場に到着していよいよ設置と思われましたが、ぬかるんだ地面に阻まれます。歌碑は幅およそ5メートル、重さ26tにもなる大きさで、なかなか目的の場所に運ぶことができません。重機で引っ張ったり勢いを付けてみたりと2時間あまりの格闘が続きました。

復帰50の物語 第26話 沖縄戦と向かい合い平和を願う「月桃」

式典では、地元の小学生たちが月桃を合唱して完成を祝いました。歌碑には、月桃の歌詞が1番から6番まですべて刻まれています。

海勢頭豊さん「喜屋武岬に寄せくる波は変わらないが変わる果てない浮世の情けというのは、人間の弱い心の状況が今のように再び戦争に向かおうとしているのを注意してくれといって」

歌の最後には、戦後を生き抜いた先人たちのように、聞いた人が一歩ずつでも前に進めるような希望が込められていました。

合唱した児童「きょう除幕式で月桃の花を歌って、改めて平和って大事だなと思いました。また、この月桃を小さい子たちも平和って大事だなと思ってほしいです。」

海勢頭豊さん「この先戦争する時代になったらこの歌碑も壊されるかもしれないくらいの危機感があるので、だからそうなってはいけないから、ちゃんとみんなで考えてね、大人も考えてね、ということ、子どもたちの方がかわいそうだから」

復帰50の物語 第26話 沖縄戦と向かい合い平和を願う「月桃」

海勢頭さんが当時残そうとした多くの人の平和への願いが形となり、沖縄の未来に託されました。歌碑の完成はゴールではなく、平和を目指す第一歩いえます。