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シリーズでお送りしている復帰50の物語。今回のテーマは、夢や憧れを抱いて上京した沖縄の若者を支え続けている東京にある県人寮「南灯寮」についてです。

離島県であることや経済的負担の大きさなどからなかなか県外の大学に進学することが難しい若者もいる中で戦後から現在に至るまで上京した若者を支え続けています。

大きく羽ばたくことを夢見る若きウチナーンチュにとって第2の故郷とも言える「南灯寮」が東京にあります。

南灯寮生 前川一朗さん「東京に帰省から帰ってきて南灯寮に着いたら帰ってきたな、ちょっと嬉しいみたいな」

名桜大学 高良文雄理事長「南灯寮が無ければ今ごろ何してたのかな、まともな人間になってなかったんじゃない」

復帰50の物語 第14話 「我ら南の灯たらん」

新生活のスタートとなる4月。県内でも入学式や入社式が行われ若者たちが希望に胸を膨らませています。県内に進学、就職する人もいればこれまで過ごしてきた沖縄を離れ、県外に新天地を求める人もいます。沖縄の大学進学率は全国ワースト。離島県であることや経済的負担の大きさなどもあり進学したとしても県外の大学という選択肢が他の都道府県と比べて身近にあるわけではありません。

そんな中、南灯寮が戦後から現在に至るまで沖縄を離れた若者を支え続けています。

「我ら南の灯たらん」

神奈川県との境にある東京都狛江市。住宅街の一角に突如赤瓦やシーサーが現れます。ここは、沖縄県人寮、南灯寮。男子寮で沖縄から東京の大学などに進学したおよそ40人が暮らしています。

南灯寮生 前川一朗さん「自分の部屋ですね、ここが」

東京大学に通う、寮生の前川一朗さん。寮は全員個室で1部屋およそ5.7畳。決して広くはありませんが朝と夕の2食つきで寮費は月4万4000円です。

南灯寮生 前川一朗さん「住み心地めっちゃいいです」Q入ったとき狭いなと思わなかった?前川一朗さん「最初は思いました。狭いなって」

復帰50の物語 第14話 「我ら南の灯たらん」

前川さんの父親も学生時代に南灯寮に住んでいました。父親の勧めもあって入寮を決めたといいます。

南灯寮生 前川一朗さん「最初大学の友達とかもできないので寂しい思いをしてたんですけど、寮に帰ってきて門をくぐったら沖縄なので」「南灯寮にいる時は寂しさを感じないで済んだ」

故郷を離れた沖縄の若者の心の支えにもなっている南灯寮。その始まりは終戦直後の1947年。戦時中や戦後の住宅難で下宿先の確保が難しかった状況に対応するため民間企業の寮を購入し誕生しました。

「南の島の灯に」という沖縄を思う心から「南灯寮」と名づけられたのです。長い歴史を持つ南灯寮。昔の様子を収めた数多くの写真が浦添市のギャラリーに残されています。

当時の寮生の何気ない表情など、いまとなっては貴重な場面を数多く撮り続けていたのは、写真家の平敷兼七(けんしち)さん。高校卒業後、進学のため沖縄から上京しました。南灯寮の近くに住んでいたことや友人がいたこともあり、復帰直前の1970年前後の寮の様子を写真に収めてきました。

名桜大学 高良文雄理事長「いやー、懐かしいな」

写真を懐かしんでいるのは前本部町長で、現在は名桜大学の理事長を務める高良文雄さん。実は高良さんも南灯寮の出身で、平敷さんが撮影した写真にも高良さんの姿がありました。

名桜大学 高良文雄理事長「(当時は)70人ぐらいはいましたね。さらに10人ぐらいは幽霊寮生みたいに寝泊りだけ来る連中もいたんじゃないかな。」

復帰50の物語 第14話 「我ら南の灯たらん」

寮生だった時をこう振り返る高良さん。当時は深夜の道路工事のアルバイトでもらえる日給が5000円程度なのに対し寮費は2食付きで月4200円だったといいます。高良さんは沖縄の本土復帰直前の時期を南灯寮で過ごしていました。東京では沖縄の復帰をめぐる動きがあまり報道されなかったこともあり、情報が少なく、寮生同士で議論をすることは多くなかったといいます。

しかし東京にいたからこそ感じる、復帰を求める思いがありました。

名桜大学 高良文雄理事長「同じ日本人、同じ大学、例えば北海道からの学生も沖縄からの学生も取り扱いは一緒。ただ休みのときに自分の田舎に帰るのは2,3日もかかってパスポートも提示して」「行くときも帰るときもそう。こんな理不尽なことはないんじゃない。いつも頭にきていたよ」「「琉球住民」と書いている。「高良文雄は日本へ旅行する者であることを証明する」とか。ふざけた話じゃないか。ただ戦争に負けたからって」

本土の学生と同じように過ごしているのに時折直面する、沖縄が日本ではないことへの違和感や理不尽さを抱えながら過ごしてきた学生生活だったといいます。復帰前の昔も、復帰から50年経った今も南灯寮が果たす役割は変わっていません。

南灯寮生 前川一朗さん「自分にとって第2の実家、東京の実家みたいな感じですね。いつ来ても落ち着くというか」「もし就職で沖縄に帰ってもこっち戻ってきて、南灯寮見たら自分の学生生活が思い出せたりする場所にもなるので、この場所で(もし)建物が変わってもずっと南灯寮であり続けてほしいと思っています」

名桜大学 高良文雄理事長「本当に生活も含めて、心の拠り所というか、お世話になった方は南灯寮があったからこそ今の私があるなという方々はいっぱいいらっしゃるんじゃないかな」「私の青春そのものだな。私の青春は南灯寮だけですよ。ほかにないですね」

復帰50の物語 第14話 「我ら南の灯たらん」

「おかえりなさい」

南灯寮はきょうも心の拠り所として沖縄の若者の帰りを迎え続けています。