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きょうは、県民の戦意高揚に利用され軍神として祀られた与那国出身の日本陸軍兵士の命日です。
大舛松市陸軍大尉は、当時の与那国村出身。歩兵第228連隊の中隊長として南方に赴き、1943年の1月13日、ガダルカナル島で戦死します。顔や足に砲弾の破片を受けながら最後まで作戦の指揮を執ったといわれる大舛大尉。その9カ月後、大尉には戦争で功績をあげたとして「感状」が送られ、天皇にも報告されたと全国紙の一面で伝えられました。
沖縄出身者が感状を受けることが初めてだったこともあり、大舛大尉はその後、県民の戦意高揚のため、軍神として祀られます。そして65年前のきょう、那覇市の護国神社で、大舛大尉の2周忌が盛大に執り行われました。翌日の沖縄新報の社説でも、「大舛精神は体当たり精神であり、いわゆる特攻精神である」、「戦場において勇敢奮闘し、最後に死を選ばなければならない場合においては死ぬことによって不滅の勝利を確信するという精神である」と記しています。
その上で、「戦争に負けたらどうなるかに思いを致す場合、日本国民は一人たりとも安閑としていられないはずである」と展開しています。