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65年前のきょう、米軍の上陸が間近に迫る沖縄の県知事となるよう辞令を受け、死を覚悟して、沖縄行きを決意した男性がいました。

糸満市摩文仁にある「島守の塔」。沖縄戦で亡くなった県職員などおよそ500人の霊を慰めようと、戦後6年目、県民の寄付で建立されました。その筆頭に名を刻まれているのが、43歳という若さで、国から沖縄県知事を命じられた兵庫県出身の島田叡です。彼の赴任が決まった1945年1月、那覇は前の年の空襲で大きな被害を受け、県の業務も敵の目を避けるため、民間の空き家で行われていました。

板良敷朝基さん(元県知事官房)「世の中は騒然としておりますからね、米軍の上陸は必至だということで。みな、不安のうちにあったわけです。平常の行政事務はほとんど停止。それどころじゃなくなっていますから」

前任の知事をはじめ、上層部が続々と沖縄から脱出する中、「自分が死にたくないからといって、誰かに代わりに行ってくれとはいえない」と話し、人事を受け入れた島田。彼が日本刀を携え、死を覚悟して沖縄にやってくるのはそれから19日後のことです。