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最後まで泥くさく 琉球コラソン松信亮平選手

今シーズン限りでの引退を発表した琉球コラソンのベテラン、松信亮平(まつのぶ りょうへい)選手。最後まで全力プレーを誓う本人とその姿を応援してきた家族の思いを取材しました。

琉球コラソン守備の要、松信亮平。小柄な選手の多いチームの中で183cmの体をフルに活かし体格で勝る相手の攻撃を全力で止め、チームを鼓舞してきました。

松信選手「根本として雑草集団というか本当にハンドボールがやりたくて集まってきたメンバーばかりなのでコートに入る時間だけは必死になって頑張っていかないといけないので・・」

コラソンでプレーして今季で9年。ベテランながら献身的なプレーを貫く姿はチームにとって欠かせない存在となっています。

東江太輝主将「本当に縁の下の力持ちと辞書で引いたら松さんが出てくるくらい本当にいろいろなことをケアしてくれて、人間性が本当に素晴らしい人だと思う」

最後まで泥くさく 琉球コラソン松信亮平選手

黄慶泳監督「彼の献身的な働き、泥くさいハンドボールその姿勢をいま残っている選手たちが(松信選手が)現役生活をしている間にしっかりと受け継いで背中を見ながらチーム全体としてのエネルギーを残してもらえたらと思っている」

茨城県出身の松信選手。早稲田大学・日本リーグのトヨタ紡織九州でプレ―した後、コラソンへ移籍。スポンサーやチケット収入などで運営するコラソンでのプレーを自ら希望しての移籍でした。

スポーツ用品店で働きながら選手生活をつづけ2015年にはシーズン4位に入って、初のプレーオフも経験しました。

直向きな取り組みで一歩ずつ歩んできたハンドボール選手としての道のり。

ただ、畜産農家を営む茨城の実家では母・よし江さんが去年他界ハンドボールを教えてくれた父・元司(もとじ)さんも体調が万全ではありません。

松信さんは今季限りで引退し妻と息子とともに茨城へ帰り家業を継ぐ決断をしました。

最後まで泥くさく 琉球コラソン松信亮平選手

松信亮平選手「(選手の)入れ替わりの激しいチームの中で9年間できたのは自分の中の節目というか切り良く10年という気持ちはあったが、自分で引退を決めることができるのは多くの選手が選べる選択肢ではないので自分の意志として受け入れてくれたチームに感謝」

沖縄で出会い結ばれた妻のセリ菜さん。5歳になる一人息子、秀平くんと一緒に夫を応援し続けてきました。

妻 セリ菜さん「(亮平さんは)手を抜かない気を抜かないとにかく一生懸命頑張るので、ハンドボールが終わってしまうのは寂しいがそのあとも楽しみだし・・」

そして最後のシーズン、ホームゲームでは息子秀平くんを伴って入場しています。

松信亮平選手「家族に頑張っている姿を見てもらう機会はなかなか無いその中でそういう姿を見せられる職業につけたということは有難いことだと思うし、ファンの方も温かく見守ってくれている・・」

長男 秀平くん「(お父さんと)出てくるところが楽しい。(お父さんは)かっこいいと思う」

妻 セリ菜さん「秀平本人が成長してどういう場所でも誰とでも物怖じせずニコニコと堂々としてくれる子になって欲しいので、そこはとても亮平さんに感謝」

また、家にはこんな写真も。松信さんは県内外の保育園や幼稚園へスポーツに親しんでもらおうとボールのプレゼントを行っています。

最後まで泥くさく 琉球コラソン松信亮平選手

自身が立ち上げたオンラインショップ「松信商店」で実家育てた豚肉やTシャツ販売などを通じて得た収益が使われています。また引退記念Tシャツの売り上げの一部は県ハンドボール協会に寄附されます。

松信選手「コラソンがあることでハンドボールをより身近に感じる子どもたちがいて、次に向かっていく(コラソンの)選手たちに何か残したいという思いもあるが、自分の思い描くアスリートの姿を体現しつつそういう姿をたくさんの人に応援して欲しいと思う」

コラソンに、そしてハンドボールに、決して目立たなくとも、熱き思いを注ぎ続けてきた松信選手。コラソンの今季残り2試合はどちらもホームゲーム。常に全力のベテランが、最後の最後までコートを駆け抜けます。

松信選手はコートの外でも沖縄や故郷茨城のハンドボール選手や子どもたちのためにクラウドファンディングなど様々な活動を行ってきました。熱い男の最後のユニフォーム姿をぜひ応援していただきたいと思います。