主要な建物を失った首里城火災から2年の月日が流れました。焼失した正殿の再建など首里城の復興が日々進められています。
在りし日の姿を取り戻すには歴史の重みを感じさせる「赤」が欠かせません。その色を体現する役割を担う「赤瓦」に関わる職人たちの「今」を取材しました。
沖縄県赤瓦事業協同組合 八幡昇 代表理事「30年の皆さんの力を集めて作った首里城が一夜にして焼けて、表現のしようがないですよね。未だに焼け跡を見に行ったらやっぱり心が痛いですね」
あの日から2年、今も心が痛いと話すのは赤瓦を生産するメーカーで組織された組合の代表、八幡昇さんです。1年前の取材では、首里城の再建に向けて「原材料の確保が課題」だと話していましたが、この1年間で新たな進展がありました。
沖縄県赤瓦事業協同組合 八幡昇 代表理事「前回と今回と違うのは、前回の原料が今回は手に入らないので、これから現在ある材料をどう活かしていくかが今の課題です」
今ある材料をどう活かしていくのか、県内の様々な地域から採取したクチャを調合し、首里城に最適な赤瓦を目指して、試作品作りに着手しています。しかし、その中で新たな課題も見えてきました。
沖縄県赤瓦事業協同組合 八幡昇 代表理事「やっぱり瓦というのは作ってみないと分からないから、例えば、色とかね。火の強度とか土の調合とかである程度はできますが、これが完全にこの色が出るとは限りません。みんな同じ色に見えるけど、同じ色ではないですよ」
試作品をつくる試行錯誤の日々は失ったあの「色」を取り戻すための第一歩だと八幡さんは言います。
沖縄県赤瓦事業協同組合 八幡昇 代表理事「焼き上がってみて、工業技術センターで今回は分析とか色々試すためのこの試作ですから、めどをつけるための第一歩でしょうね」
赤瓦には、”つくる職人”だけでなく、”屋根にとりつける職人”もいます。赤瓦を屋根に取り付ける際、そのつなぎ役として石灰岩とわらをまぜた漆喰を塗っていくのです。そんな漆喰施工の職人たちもまた、首里城の再建へ向けて動いています。
堀切元気さん「1年前よりはさすがにできるようにはなっているんですけど、まだまだできない部分の方が多いので」
1年前の取材で出会った堀切元気さん。実はIT業界から赤瓦の道へ飛び込んだ駆け出しの職人です。
堀切元気さん「やればやるほど、何を出来るようにならなくちゃいけないのかが見えてきて、それができるようになるまで何年かかるのか」
堀切さんのこの1年間での成長具合を先輩の職人はどう見ているでしょうか。
沖縄県琉球赤瓦漆喰施工協同組合 田端忠 代表理事「しっかり瓦についての知見が備わってきて、要は見る目。あとは施工についても、まだ未熟ではあるにしても、目利きとしての腕は上がったのかなと思いますね」
施工技術はまだまだですが、見る目はついてきたと、まずまずの評価のようです。今年から、文化庁の補助を受けて首里城を管理する美ら島財団が主体となって瓦ふきの技術を若手へ継承するための講習会が行われることになりました。
沖縄美ら島財団 鶴田大さん「琉球王国の伝統がありますから、そういうものを1回絶やしてしまうと、また、復元することがとても難しい。瓦ふきで言うとずっと長年培ってきた伝統と言いますか、そういう技を受け継いでいる人が80代、90代の方がいるので、そういう技をぜひ若い人たちにつなげていこうと」
大先輩の職人から、瓦のふき方を教わる堀切さんですが。
堀切元気さん「まずきれいじゃないですか。これ多分俺のと比べたらわかりやすいんですよ。僕のガタガタしてるんで、しっかりなってて、綺麗に見える角度みたいのがあるんですよ」
先輩の職人が手がけた屋根と堀切さんの屋根を比べるとその差は一目瞭然、一人前の赤瓦職人への道はまだまだ遠いようです。
堀切元気さん「1年前よりは、分かるようにはなってきているけど、まだ全然足りなくて、大城幸祐さんとか山城富凾さんの技術を見てすごいって思えるけど、まだあるんですよ、この先が、すごいのが。僕がまだ感じ取れないすごいやつが。それ考えると長いなと」
沖縄県琉球赤瓦漆喰施工協同組合 田端忠 代表理事「世界に発信できる琉球赤瓦施工だということを言いたいです。首里城をはじめとして、いろいろな文化・施設っていうのは、世界から注目されていますので、世界にも通用する職人に育って欲しい」
また、堀切さん自身も、この1年間で首里城に対する思いの変化がありました。
堀切元気さん「首里城の焼けた跡とか、瓦を見ていったり、前の瓦が出来上がる工程ももっと深く学んでみて、やっぱりあの当時出来る最高のものを作った瓦で、色んな人がいて、色んな思いがあって。今回は今回の最高のものを(つくろう)っていうように、瓦だけじゃなく色んなところで。そういって作った城だったら、新築でも沖縄の外に誇れる城として、みんなに見てもらえるんじゃないかな。今できる一番を作ろう(という気持ち)から、いいのができていくんだと思って。今回もそうだったらいいと、それに関われたらいいなって」
首里城火災から2年。赤瓦職人たちは、首里城の再建へ向けて、着々と試行錯誤を重ね、技術を磨き、失った色を取り戻すために、今日も汗を流しています。