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1000人を超える子どもが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の沈没からまもなく77年になるのを前に、慰霊祭が行われました。
2021年の慰霊祭は、新型コロナの影響で去年に続き規模を縮小して執り行われ、生存者などが犠牲になった児童たちの冥福を祈りました。
学童疎開船「対馬丸」は、太平洋戦争末期の1944年8月22日、那覇港から疎開先の九州へ向かう途中に、奄美大島の北の海上でアメリカ軍の攻撃を受けて撃沈しました。
犠牲者1484人のうち、7割にあたる1040人が15歳以下の子どもでした。
生存者・照屋恒さん(当時4歳)「(沈没した時)母と一緒に海に飛び込みました。(母は)姉を探してくるから、ちゃんと掴んでおけよという形で離れていって(亡くなった)わけですね。若い人たち、子どもたちが戦争をどういう理解をするのかがいつも気になっています」
対馬丸記念館・高良政勝理事長「遺族生存者が少なくなって、写真を持っている人が少なくなっているんですよね。あせりにも似た感じが致します」
2021年は、遺族から寄せられた5人の新たな遺影が対馬丸記念館に掲示されることになりました。