東京オリンピックで昨夜行われたレスリングのグレコローマンスタイル77kg級で、県出身の屋比久翔平(やびく しょうへい)選手が銅メダルを獲得しました。手に汗握った方も少なくないのではないでしょうか!?
県勢のメダルとしては、1992年のバルセロナで体操団体のメンバーとして銅メダルを取った、知念孝(ちねんたかし)さん以来となりました。そして個人競技としては初めてのメダルです。屋比久選手の活躍を振り返ります。
国内外の大会で結果を残し、初めてのオリンピック出場をつかみ取った屋比久翔平(やびく しょうへい)。2回戦で金メダルを獲得したハンガリーの選手に敗れたものの、敗者復活戦からの3位決定戦では、見事な技を見せてくれました。
夢の舞台で獲得した銅メダルは、オリンピック夏冬を通じて個人競技では県勢初めてのメダルとなりました。
屋比久翔平選手「沖縄で頑張っている高校生や中学生、子どもたちに夢を大きく与えられたのではないかと思う」
レスリング指導者の父・保(たもつ)さんは選手時代、オリンピック候補になりながらも、大けがで出場がかないませんでした。
その父の薫陶を受けながら、浦添工業時代は全国団体優勝。そして日体大・社会人のアルソックと進んだのちも、国内大会優勝や国際大会で上位の結果を残し、代表候補になりながらも2016年のリオオリンピックは出場はならず。
それでも、沖縄の後輩たちに胸を貸す時間をつくりながら、父の教え、前に出るレスリングスタイルを貫き、腕と心を磨き続けました。
屋比久翔平選手「小中高とずっと変わらず今も『オリンピックで金メダル』というのは持ち続けている。本当に小さい頃からの目標だし、東京開催というので、またすごい価値があるし、そういうのも含めて、周りの期待も感じますし、本当に絶対に金メダルを獲るっていう、そういう気持ち」
26歳の今年、とうとうたどり着いた夢舞台。金メダルはかなわず3位決定戦に回りましたが、国際大会で2戦2敗と、まだ勝ち星がないイランのゲラエイとの対戦となりました。
屋比久が出場するグレコローマンは、フリースタイルとは違い足への攻撃は許されず、上半身のみで攻防が行われます。
6分間で相手を投げたり倒したりしてポイントを競う中、試合前半に屋比久は攻め手を欠き消極的とみなされ、ペナルティーとしてゲラエイに有利な姿勢を与えてしまいます。ここでポイントを奪われ前半3分間は0-3とリードされました。
しかし試合後半、前に出続け相手の体力を削っていった屋比久にチャンスが訪れます。2-3とポイントを詰めた後逆に自ら有利な姿勢からの試合再開。渾身のリフト技で逆転の4ポイントを獲得。これで大きくリードした屋比久。試合終盤には大技を狙って飛び込んできた相手をきれいに投げました。これで大差をつけるテクニカルフォール勝ち。見事な勝利で銅メダルを獲得しました。
屋比久翔平選手「僕はすごくうれしいが、コロナ禍の中で支えてもらっているコーチングスタッフや、大会を運営サポートして下さっているボランティアの方々が大きく関わっていて、その中で僕が銅メダルを取れたということで、とてもその方たちには感謝したい」
自宅からリモートでの応援をしていた父、保さんも喜びを語りました。
保さん「メダルを取ったということに対しては、本人の努力が実ったと思う。みんなで喜んでいる」
横浜では妻の加奈子さんが、長男の紫琉(しりゅう)くんとともに試合を見守りました。
加奈子さん「きのうからきょうにかけて、多くの方からおめでとうという連絡をもらって、本当にオリンピックでメダルとったんだなという実感はじわじわきてる感じですね」
紫琉くんが生まれてからは、まだ数カ月しか家族の時間が持てていないという屋比久。あす1歳の誕生日を迎える紫琉くんにとっては、父からのとっておきの誕生日プレゼントになりました!
加奈子さん「息子の誕生日には立ち会うことができないので、オリンピックでメダルをとったことが誕生日プレゼントだと思うので、会った時には一番最初にメダルをかけてあげようねと話はしています」
激闘から一夜明けたきょう、屋比久はメダルを胸に改めて記者会見に臨みました。
屋比久翔平選手「沖縄の方々や、地元の中学の同級生や、(指導した)子どもたちの父母からもメッセージが届いて、すごく自分がメダルを取ったと実感している。銅メダルは取れたが一番いい色ではないし、競技をやるからには世界のてっぺんに登りたいし、課題を克服して成長していけば、金メダルにぐっと近づくので頑張っていきたい」
さらなる高みを目指すその姿は、沖縄レスリング界の大きな励みとなりそうです。