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うるま市の宮森小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落した事故から62年です。小学校で追悼集会と慰霊祭が行われました。

62年前の1959年6月30日、うるま市の宮森小学校に嘉手納基地を飛び立ったアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童11人をふくむ18人が犠牲となりました。

2021年の追悼集会は、新型コロナの影響で規模を縮小して行われ、5・6年生の生徒150人が二度と悲しい事故が起きないようにと祈りを捧げました。

宮森小学校6年・榮口楓さん「62年前の状況を思い出すと、自分だったら泣き叫んでいると思いました。飛行機の音とか聞こえたりすると、怖くて、ちょっと授業に集中できなくなったり」

事故が起きた午前10時40分ごろにあわせて、犠牲者の名前を刻んだ仲よし地蔵の前で慰霊祭が開かれ、当時の児童生徒や遺族などおよそ40人が参加しました。

母親を亡くした女性「6月30日が来ない方がいい気がして、この時は爆音を聞いたらもうびっくりしますよ」

叔母を亡くした女性「本当にタブーなんですよ、この話が。家族の中では全然聞いたこともないし、母の苦しさとかを今後、することがないように、風化させてはいけないなと思いました」

宮森630会では、「ことしは、若い世代がサポーターとして参加している。同じようなことがおこらないよう、事故の悲惨さ、遺族の思いを伝えていきたい」と話していました。

宮森小米軍ジェット機墜落事故から62年