沖縄戦遺骨収集ボランティア・ガマフヤーの具志堅隆松さんが始めたハンガーストライキはきょうで4日目です。3カ月前にも行ったハンストをなぜ、慰霊の日に合わせて再び決行しようと考えたのか?そして、その場所として、沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁を選んだのでしょうか?
沖縄戦遺骨収集ボランティア・ガマフヤー具志堅隆松さん「6月23日慰霊の日という象徴的な日に、この摩文仁という象徴的な場所で戦没者の遺骨を守るという要請書を(玉城知事に)受け取って頂きたいと思っています」
沖縄戦遺骨収集ボランティア・ガマフヤーの具志堅隆松さん。40年近くガマに入っては遺骨を掘り、遺族の元へ返す活動を続けてきました。具志堅さんはいま、ことし3月に続き、2度目となるハンガーストライキを決行しています。
具志堅さん「わたしたちは(ことし)3月のハンガーストライキではある一つの業者に対して、その業者の新たな採石場を開くことを中止してほしいと(ハンガーストライキを)行っていました。これは結果的に沖縄の中で沖縄の人同士が対立しているということです。これはいえば日本政府によってウチナーンチュ同士が対立させられているという構図です」
南部の鉱山開発を中止するよう求めた前回のハンガーストライキでは、ウチナーンチュ同士が国によって対立させられていると感じた具志堅さん。今回のハンガーストライキでは新たな目的でもって行うことを決めました。
具志堅さん「今回の目的は二つです。知事へハンガーストライキでもって(辺野古新基地の設計変更申請の)不承認の要請、それから遺族からの声をあつめる」
遺骨の混じる土砂を基地の埋め立てに使わせないために、その大元となる国の提出した設計変更の計画自体を不承認とするよう知事に求めること、そして、知事に対して遺骨で基地を造って欲しくないとする遺族や県民の声を直接届けることにしたのです。
具志堅さん(2020年9月29日)「兵隊も含めて、戦争で巻き込まれていけない一般住民の遺骨もあります。そういった犠牲者の遺骨を新たな軍事基地を作るための埋め立てに使うっていうのは、戦没者に対する冒とく以外の何物でもない」
去年4月、沖縄防衛局は辺野古新基地建設の埋め立て設計変更申請書を県に提出。具志堅さんの闘いはここから始まりました。
国が新たに見直した計画では、沖縄戦の激戦地となった本島南部から辺野古の埋め立てに使う土砂を採取することにしています。
40年近く遺骨と向き合い続けてきた具志堅さんだからこそ『遺骨で基地をつくらせない』と何度も繰り返し訴えているのです。
そして、その行動や思いは徐々に、沖縄戦の遺族や県民にも広がっていきました。
署名した人「なにか出来ないのかな、なにか自分に出来るものはないのか。もう署名ぐらいしかないかなと思って、名前だけでもと思って(署名をするために)来ました」
こちらの女性は沖縄戦で祖父を亡くしました。しかし、その祖父の遺骨は今なお家族のもとに返っこないままです。
署名した人「この遺骨問題もほんとうに人間性のなんていうんでしょうね、人間のやることだろうかって思ったりするんですよ。(沖縄に)基地がまた造られていく。自衛隊もつくられていく。また沖縄が同じような戦線の先頭に立たされるのかと」
具志堅さん「6.23というのは、沖縄の人たちあるいは本土にいる遺族も含めて、多くの人が戦没者のことを考え、魂の平安を祈る特別な日です。ぜひとも玉城デニー知事は式典が終了したら、ここで私たちの要請、遺族の要請でもある、沖縄防衛局からの承認申請を不承認にしてくださいという要請を受け取って頂きたいと思っています」
あす、慰霊の日、具志堅さんは玉城知事に遺族や県民の声を要請書として直接手渡したいと言います。
戦後76年、具志堅さんの闘いは今この瞬間も、摩文仁の丘で続いています。
具志堅さんが行っているハンガーストライキは、いよいよ明日、慰霊の日が最終日となります。