西原町の県立埋蔵文化財センターでは今、首里城から出土した貴重な文化財が公開されています。沖縄戦で破壊された大龍柱のものとみられる破片も発掘されたんですが、そこから見えてきた大龍柱の事実とは。
県立埋蔵文化財センターでは、首里城で出土した貴重な文化財が公開されています。そこから見えてきた大龍柱の事実とは。吉田記者の報告です。
再建に向けた工事が着々と進む首里城。その公園内にある緑豊かな「京の内」は、さまざまな祭祀が行われた聖域です。
その京の内から出土した品々およそ120点が、西原町にある県立埋蔵文化財センターで紹介されています。
吉田記者「展示では、1994年から3年間かけて発掘調査が行われた現場が原寸大の写真で紹介されています。」
およそ4m四方の発掘現場からは、この場所が倉庫で中国や東南アジアとの交易を示すものが出土したほか、焼失した跡が見つかりました。1459年の火災であることが分かっています。
原寸大の発掘現場写真は、分かりやすさと臨場感を伝えたいという発想から生まれた初の試みです。
県立埋蔵文化財センター・玉城綾主任「実際に作ったこの原寸大の写真の上を歩いて頂いて、コメントも読みながら当時の様子を少しでも感じてもらえたらと思う。」
その現場からは、明らかに時代の違うアスファルトが発見されました。
これは琉球大学がいまの首里城公園一帯にあったころの名残りです。写真は開学間もない1950年代。正殿の階段が確認でき、写真右手数十メートルのところで行われている工事現場が京の内、発掘作業が行われたエリアとなります。つまりアスファルトは琉大時代のもの。
戦争や工事などを経て、奇跡的に同じ京の内から発見されたのが沖縄戦で破壊された大龍柱の一部と見られる破片です。昨年2月、大龍柱の研究を行う琉球大学の西村貞雄名誉教授による分析で判明しました。柔らかい砂岩でできていて幅19センチほど、重さは3kgあります。
県立埋蔵文化財センター・玉城綾主任「龍柱が3分割してつくられていた上の部分と下のつなぎ目の部分ということを発見できたというのが一番大きな成果。底の部分はノコギリみたいなもので切って平らにつくっているところから、接続部分だったということが分かった。」
奇跡的な発見から、3分割して組み立てられていたことが分かった大龍柱。貴重な資料を臨場感ある会場で見ることができるこの企画展は3月21日まで開催されています。