首里城の復興に向けた動きが広がる中、西原町では貴重な資料が公開されています。発掘調査で見つかった出土品からは何度も火災にあいながら、復活を遂げてきた姿が見えてきました。
西原町にある県立埋蔵文化財センター。首里城正殿跡の発掘調査で出土した資料が公開されています。1984年から34年間にかけて首里城とその周辺の33カ所で実施された発掘調査。正殿跡からは11万点もの資料が出てきました。今回はこのうち選りすぐりの700点が公開されています。
県立埋蔵文化財センター・金城貴子主任「実際に(去年10月)正殿の建物自体は焼け落ちてしまったが、これら貴重な文化財で、残っているものを県民の皆さんに見て頂きたい思いで今回展示をした」
2m近い、ぐにゃりと曲がった鉄の棒。戦火をくぐりぬけて、その姿を表しました。
金城貴子主任「戦前まで残っていた首里城正殿の屋根の上の両サイド両端部分にあった龍の頭についていたヒゲと考えられていて、実際に(1992年の)復元の基礎資料となったことが伝えられている」
高貴で、水の象徴にもなっている龍には火事などの災いを遠ざける意味があります。
そしてもう1つ、かわいらしい形をしているこちらは…
金城貴子主任「雲の形をかたどった瓦飾り瓦の一つ。火事などから守るという意味合いで、雨を降らせる雲水を象徴させるような雲の形を飾り瓦として屋根にふいていたと考えられる」
写真の中央に見えるのが雲の瓦。飾りとして使われています。
このほか正殿の入り口に鎮座していた龍柱も16世紀初めには中国産の「輝緑岩」という青みががった固い岩が使われていましたが、17世紀半ばのものは地元・琉球の柔らかな「砂岩」が使われていて、竜のウロコなど細かい彫刻が施されています。
15世紀初め文献に名前が登場して以来、去年で5度目の焼失となった首里城。ですが、そのたびに復興を遂げてきました。
金城貴子主任「歴史に触れることで、首里城が今後、将来的に復元されることに向かって県民の皆さんの思いや関心がより大きくなったりとか、そういったことに少しでも力になれたらと思っている」
長いときを経て、姿を現した出土品。首里城の歩みや、幾度となくよみがえってきた逞しさを感じ取ることができます。