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沼尻キャスター「55年前、1964年のきょう10月10日、日本では大きなイベントが開催されたのですが、皆さん、そして山城さんわかりますでしょうか?」

山城キャスター「東京オリンピックの開会式ですよね。」

沼尻キャスター「そうなんです。それが理由で以前は『体育の日』に制定されていたんですが。」

今回私が取材したのが、当時のオリンピックの開会式前およそ1カ月間に渡って行われた聖火リレーの沖縄の第1走者、宮城勇さんです。取材をしてみると当時の沖縄にとって聖火リレーは、「スポーツの祭典」の始まり以上に大きな意味を持っていました。

沼尻キャスター「これは何ですか?。」宮城勇さん「これは那覇空港で私が持って走ったトーチです。」沼尻キャスター「今からですと55年前ですか?。」宮城勇さん「そうですね、もう半世紀すぎますね。」

浦添市に住む宮城勇さん、77歳。手に持っているトーチには「TOKYO 1964」の文字。55年前のオリンピックで宮城さんが聖火ランナーとして実際に手に持って走ったものです。

宮城勇さん「燃料を詰めると約600グラムありましたね。」「重さそのものはそれほどの重量はないんですけど、やはり責任感というものも重なってずっしりとした手応えは感じましたね。」

やはり責任感というものも重なってずっしりとした手応えは感じましたね。

当時、琉球大学の学生だった宮城さん。教員を目指し勉強に励んでいたある日、その一報は驚きとともに届きました。

宮城勇さん「ある晩、新聞記者が訪ねてこられて『きょう沖縄の聖火リレー実行委員会があって、そこで宮城さんが内定されました、それについて感想を聞かせてください』と内定したリストを示されてびっくりしました。

突然の聖火ランナーの内定。選考の理由については当時、大学の体育学科のリーダーをしていたからではないかと推測する宮城さんですが、実際のところは今でもわからないということ。

そんな宮城さんに実際に走ったコースを歩きながら当時を振り返ってもらうと沖縄の人々が聖火に込めた強い思いが見えてきました。

沼尻キャスター「こちらがその当時のスタート地点ということなんですかね?」宮城勇さん「当時、那覇空港はここにありました。」

1964年の東京オリンピックで聖火リレーの沖縄の第1走者をつとめた宮城勇さん。当時の聖火リレーは沖縄から出発したため宮城さんは全国で最初に走る聖火ランナーでした。

宮城勇さん「待ちに待った聖火は9月7日12時に到着をして、ここの空港には開港以来の空前の人出と言われる人たちが集まってですね。」

宮城勇さん「(トーチを)掲げた瞬間ですね空港にいる万余の人たちから一斉に拍手と万歳が三唱されるんですよ。当日は32・5度の沖縄の気候、炎天下で汗を流しながら全身は震えて止まらないんですよ。」

掲げた瞬間ですね空港にいる万余の人たちから一斉に拍手と万歳が三唱されるんですよ。

照り付ける太陽のもと始まった聖火リレー。正走者・副走者・随走者の合わせて23人で1区間を走りました。宮城さんには、聖火を見ようと集まった人の多さのほかにも忘れられない光景がありました。

宮城勇さん「日の丸の波と人の波、そういう印象ですね。」

当時、アメリカ軍統治下にあった沖縄では祝祭日以外の日の丸の掲揚は禁じられていました。しかしこの日だけは、聖火を日の丸で迎えることをアメリカ軍も黙認。沿道では多くの人が思いを込め日の丸を振りました。

宮城勇さん「凄惨な地上戦を体験した沖縄で平和の使者であるオリンピックのシンボルである聖火を迎えるとこういうことが、沖縄の人の心とひとつになって、より強い日の丸への思いとなったんではないでしょうかね。」

戦後19年、沖縄では祖国復帰運動が盛んになっていた時期。沖縄の人にとって日の丸は戦後アメリカ軍統治下で苦しむ人々が託した「希望」だったのです。

宮城勇さん「沖縄の人にとってやはり本土復帰すること、祖国に復帰するということは本土並みの生活、本土並みの社会を実現すると皆さん願っていましたそういうものも大きな期待となってあの行動になったんじゃないですかね。」

宮城さんが第1走者として任されたのはおよそ1.7キロ。宮城勇さん「空港から走ってちょうどこの辺りが1.7キロで、2区の上原さんにリレーしました。」

あまりの人の多さに、予定よりも1分以上遅れてのリレーでした。無事に聖火をつないだこの場所で次のオリンピックへ期待することは何か、尋ねました。

沖縄の社会にも影響を与えるような大きなエネルギーとなるような大会になってほしいとそう思いますね。

宮城勇さん「前回の大会は復興の途中にあって国民全体があすの未来を夢見た年でした。そして56年たってオリンピックが東京であります。沖縄にとってもオリンピックの大きなイベントがスポーツだけでなくて沖縄の社会にも影響を与えるような大きなエネルギーとなるような大会になってほしいとそう思いますね。」

沖縄の人々の祖国復帰への願いや平和を求める思いの中を走り抜けた1964年の聖火リレー。

2020年はどんな思いが込められるのでしょうか。