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対馬丸撃沈から75年 慰霊祭

75年前の22日、米軍の攻撃によって、児童など1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれました。

撃沈事件から75年の22日、那覇市の「小桜の塔」では午前11時から慰霊祭が営まれました。対馬丸は、1944年の8月22日、1700人余りを乗せ、沖縄から長崎に向かっていた学童疎開船で、米軍の潜水艦の攻撃を受け沈没。784人の児童を含む1484人が犠牲になりました。

慰霊祭で対馬丸記念館の高良政勝理事長は「これからも記念館を通して、争いや戦争のない世界を希求する」と追悼の言葉をのべました。

参列者は「戦争が二度と起こらないように、子どもたちにも継いで行かないといけないと気持ちがあるので、一緒に来ました」と話していました。また慰霊祭を前に、対馬丸記念館には新たに、学童4人と対馬丸船員1人の遺影が遺族から提供しました。

遺族の島袋幸雄さん、京子さん夫妻は「お兄さん2人です。兄貴なんです、長男と次男が船に乗っていたんです。(遺影を掲げられて)安心したね、長いこと気にしてて、肩の荷が下りたような気になりました。毎年慰霊祭に来てるんですけど、写真飾っていないのが気になっていたんです。安らかに眠って下さいとしか言えないね、写真もちゃんと掲げてあるから、すまなかったなと、兄貴に謝りたいと思います」と話しました。

対馬丸記念館では、船が潜水艦に攻撃された午後9時50分から再び、追悼式が営まれます。