Qリポートです。県都・那覇市の顔として親しまれてきた「那覇市役所」が老朽化などを理由に今月18日に閉庁し、3年後に同じ場所に新庁舎を建設します。
『44年の歴史に幕』
那覇市の中心地。開発などが進み、新しい建物が立ち並ぶなかでひときわ目立つ古い建物。県都・那覇市の顔として見守り続けてきた那覇市役所。ことしで44年。
<那覇市役所の変遷>
那覇市役所は戦後の混乱期、各地区を点々としながらようやく1953年に当時の天妃小学校の校舎を借りて役所の業務が行なわれていました。しかし、市の人口増加に伴う業務の拡大などで職員が増加。庁舎の建設が必要となり、当時の金額で120万ドルの建設費を投じ、現在の場所に1964年5月から建設を始め、翌年の9月18日に完成。当時行なわれ落成式典には多くの市民が参加しました。
当時中学3年生だった翁長雄志市長は、
翁長市長「中学生の時に見た市役所は、ある意味シンボルとしての那覇市の復興というかね、6階、7階まで登ってですね那覇市内を見渡してすばらしい建物が出来たなぁと。ここより高いところがなかったぐらいのものだから誇りに思ったというのがね一番最初、この市役所の庁舎との出会いですね。」
しかし歳月は過ぎ老朽化が進み、外壁にはいたるところに剥離が目立ち、庁舎内も天井などに修繕のあとが見られます。そのため、那覇市は庁舎の建て替えを決めました。建て替えの候補地として当初は、おもろまちを含めて何ヵ所か上がっていましたが、現庁舎を取り壊して建て替えることになりました。仮庁舎への引越しを向けて役所内の各部署では、準備が行なわれていました。
職員「古い資料が出てきたらちょいちょい見てしまいますね。思い出とかですね頭にめぐってきますね。」
広報課の職員「そうですね。荷物が多すぎて大変ですね。展示から広報誌からすべて保存してきたんでちょっと片付けが大変ですね。荷物が物語っています。」
今月5日の引越し作業ではトラック18台分、ダンボールおよそ5000個が運び出されましたが、これらはほんの一部。各所が完全に業務が終了していないために、本格的な引越し作業が始まる9月の連休ごろは大忙しにあると引越し業者は話していました。
市役所に2台あるエレベーターは、入れ替えもせず当時のままです。
翁長市長「市長になって市民サービスをさらにもっと深く感じるようになっとき、「これは本当に遅いな」というふうにも思いましたが、古い庁舎なんでね、いた仕方ないかなと思って。」
市長も認める遅いエレベーター。しかし、エレベータの機械室を覗いてみると、せわしく動いて居ます,しかしこのエレベーターも役目を終えます。
<やまびこの鐘>
ところで皆さん。那覇市役所の一番高いところに設置されているこの物体ご存知ですか? 実はこれ「鐘」なんです。「やまびこの鐘」は、1960年、兵庫県の婦人会や青年会などが中心になって、県民に希望と勇気を与えようと寄贈されたもの。1日4回決まった時間に、このスピーカーから音が流れていました。
その音源は、庁舎2階の電話交換室のありました。この箱の中が装置になっています。箱を開けてみると、オルゴールのような仕掛けになっています。実際、音を聞いてみると、
「てぃんさぐの花」他には「さくらさくら」や「我は海の子」「ふるさと」の4曲です。「やまびこの鐘」は今回の庁舎取り壊しの際、一時、保管されるということですが、今後については決まっていないということです。
<食堂>
市役所の地下にある「庁内食堂」。この食堂で30年近く働いている喜納あゆみさん。昼どき、食堂に訪れる人に笑顔で出迎えます。
喜納あゆみさん「昔からこういうの風な食堂って感じの「沖縄食堂」っていう感じの炒め物とか。30数年になりますから、その間ずっと変わらず、おねだんも変わってない感じずっとがんばってきました。」
家にいる時間よりも、食堂にいることのほうが長かったと喜納さん。喜納あゆみさん「楽しかったのを思い出しながら、うれしかったのを思い出しながら、なって言ったらいいのかなぁ。さびしいような。」
また一つ名物が消えていきます。
翁長市長Q.さびしさとかありますか?「僕はありますね。職員に聞いたら、若い職員はね、「いやぁ、新しい庁舎出来るでしょう3年後に、それはまたそれで楽しみですよ」と言うような話も聞こえますが、僕のほうは、楽しみよりも寂しさがねちょっと上回っているかなぁと。」
変わりゆく那覇市を見守り続けてきた那覇市役所。歴史の幕が下りるまであと11日です。