Qプラスリポートです。2回にわたってお届けする「空飛ぶドクター」第1回目の今日は「離島診療」篇です。沖縄本島のすぐ北部にある沖永良部島に毎月、診療に行っている医師がいます。医師に密着したことでみえてきた離島診療の現実とは。
仲間先生「じゃあ検査始めていきますからね、びっくりしないで下さいね」
北中城村、中部徳洲会病院。消化器内科の仲間直崇医師。彼にはもうひとつの顔がある。離島で患者をみる人呼んで「空飛ぶドクター」。この日、検査が終わると休む間もなく12時過ぎの飛行機に乗るために病院を出た。沖永良部島への診療に出かけるのだ。
仲間先生「結局やりたいことは、その人が過ごしたい場所で過ごすための手助けをしたい。(沖永良部島は)ガンの患者さんが助からない、末期で見つかることがすごく多いんだって事を言われて、これを何とか早期ガン、早期の段階で見つけるための手助けをしてくれないかって言われるようになって毎月行くようになったって感じですね」
研修医だった頃に受け持った、忘れられない患者がいる。徳之島の人で容態が悪くなり、中部徳洲会病院で診ることになった。
仲間先生「30代の方で両親が付き添われてたんですけど両親が時々島に帰られるんです。何しに島に帰ってるのかなって思ったら、診療を続けるためにお金が必要だから畑を売りに帰ってた。その話が衝撃を受けてしまって」
その患者は結局、産まれ島に戻る事なく亡くなった。
仲間先生「その時、中部徳洲会病院で出来た医療と同じことが徳之島で出来たら(両親は)田畑を売ることもなかったし、島で最期まで過ごすことも出来たし」
沖永良部島への飛行時間はおよそ1時間。到着すると空港でドクターヘリによる患者搬送が行われていた。島で対応できない患者は飛行機や船で島外に運ぶしかない。それが離島で暮らす現実なのだ。
仲間先生「始めていきまーす。大丈夫ですか?」
沖永良部徳洲会病院に着いた仲間先生はそのまま内視鏡室に入り、検査や外来診療を始めた。
仲間先生「今のとこポリープも何もありませんよ、癌も勿論ありませんし」
診療は午後4時過ぎまで続いた。しかし、島での仕事はここでは終わらない。
仲間先生「今日は胃カメラと大腸カメラのことをお話しようと思ってやって参りました」
午後7時。地域の公民館で医療講演を行う。
仲間先生「因みにこういう最先端の治療は那覇とか東京行かないと受けられないと思うでしょ?実は沖永良部島で出来ます。東京でできる治療と検査が沖永良部徳洲会で出来ます」
島の人たちへの生活指導、そして島に居ても高度な医療が受けられるのをしらせているのだ。
参加者女性「カメラする自体が怖いっていうか、それが一番ですね。キャッチフレーズのように(胃カメラ・大腸カメラを)受けてみたいなっていう感覚は皆さんあると思います」
参加者男性「よくわかりました。(自分の生活は)アルコールが多いかな」
午後9時過ぎ。仲間先生の長い長い1日が終わる。
2日目も朝から病院のロビーは住民でごったがえしていた。ここは島の中では一番大きな病院だが、医師の数は少ない。この医師不足を解消するために全国から集まった研修医、医学生にアドバイスを与えるのも仲間先生の役目だ。
仲間先生「やれることしかやらないこと。島だからって自分のやれないことをやろうとすると事故るから」
島の人々の暮らしを支える医療。
島の住民:女性「の主人は癌で亡くなったから、2年近く(入院した)。大変でしたよ。お金かかりました。急も受けて下さいますしすごく有難い、今は」
午後。急患が入った。発熱と気分不良で受診したが、実は胆管に石がつまり、さらに患部が細菌感染を起こした重篤患者だった。素早く、的確に緊急処置を施す。
消化器内科専門医である仲間先生がいたから対応できたがそうでなければ、まさしく沖縄本島や鹿児島などに緊急搬送される症例だった。
仲間先生「はいOKです、お疲れ様でした」
夜、勤務している医師や研修医、医学生たちが集まった。
医学実習生「仲間先生もそうですが色んな先生方が応援に来てくれて成り立っているのかなっていう」
研修医「度胸はつく。ここで出来ることで踏ん張ることと、それはもういいから送るっていう。その判断をしながらが勉強になる」
3日目、島を離れる朝。時間があれば訪れる、島のお気に入りの場所がある。
仲間先生「いま大部分の方にとって病院がある環境って普通じゃないですか。ところが島でお医者さんするときに病院があることに感謝されることがあるんです、病院を作ってくれてありがとうって。日本って国民皆保険制度じゃないですか。皆が同じ保険料収めてるってことは本来なら東京都で受けられる医療と島で受けられる医療は一緒じゃないといけない、本来。半日、1日以内に命が危うくなってしまう疾患に関しては島で出来るようになりたい」
島を愛し、島の人を愛する空飛ぶドクターの3日間が終った。