Qプラスリポートです。那覇市にある「珊瑚舎スコーレ」。戦中戦後の混乱でで学校に行けなかった人たちが仕事や子育てを終えた今、学ぶ楽しさを体験しています。しかし、その夜間中学は何度もピンチに晒されてきました。夜間中学を取り巻く状況を取材しました。
珊瑚舎スコーレ 4月6日(土)暖かい拍手で迎えられた、12人の新入生たち。最年少は11歳から最高齢は73歳です。入学したのは那覇市のフリースクール「珊瑚舎スコーレ」昼は様々な理由で学校へ通えなくなった子供たちが通うフリースクール、夜は、沖縄戦で学びの機会を奪われた人たちのための夜間中学になっています。
上原美代さん(72)「うちなんかは戦後2年後でしょ、働きなさい、勉強はいつでもできる、勉強しなくてもいい、女は炊事洗濯家事ができればいい、(学校に)行かさないと。学校に行ったらおやじが呼びに来て、ヤギの草刈りなさいと言って、学校まで呼び出しされてね。あい、学校からばんない呼ばれて勉強もできないさ~と。今は幸せですよ、ちゃんとしたクーラーは効くし、机はあるし、これから私は自分のために本当勉強せんといけないね~って思ってますね。」
小田ミヅエさん(73)「きょうはかけ算九九の2の段を習ったよとかね。入学した当時はとっても楽しくて、家族みんなに話しました。もう、うれしくてしょうがなかったんです。今、第二の人生を歩んでいますので、とっても毎日がハッピーで青春をやり直してるような気分です。」
もう一度、学べる。そんな喜びと期待を込めて入学した新入生たちですが夜間中学は存続の危機にあっていました。
珊瑚舎スコーレ 星野人史代表「沖縄戦の戦中戦後で、学校に行きたくてもいけない方々がいらっしゃったんです。学びの機会を奪われた人たちのためにやってる。続けなくちゃいけないですよね。」
去年3月、県は1932年から41年に生まれた義務教育未修了者を対象とした補助金を打ち切りました。つまり、夜間中学の対象者への支援をやめたのです。珊瑚舎スコーレの星野人史代表らは支援の継続を求め県議会に陳情。生徒にはなくてはならない学び場であることを訴えました。全国から夜間中学存続を願う署名が多数寄せられたこともあり県は支援継続を決定しました。
誰もが平等に学べる場を設置したい、そう願う星野さん。ただ、これからも厳しい状況は続くとみています。
珊瑚舎スコーレ 星野人史代表「喜ばしいけども、半分半分ですね。沖縄県が珊瑚舎スコーレとともにやってきたことは全国の模範になりますから、そのことを発展させるような方向で(県に)ぜひ具体策を提示してほしいとおもいます。」
この補助金の支給も、来年3月末まで。県の方によると、補助金という形で公募しているので、毎年年度末までの支給しかできない。星野さんは、行政が主導して公立の夜間中学の設置を求めているが県ではいまのところ、そのような話は出ていないそうです。