普天間爆音訴訟の原告の1人に騒音が引き金となってよみがえる戦争の悲しい記憶に苦しめられている女性がいました。この女性がどんな思いで判決を迎えたのでしょうか、きょうにかける思いを取材しました。
原告団・奥田千代さん「石投げて落としてやるぞー」
騒音をかき消すほどの明るい笑顔で話すこちらの女性。原告の奥田千代さん。自宅はフェンスからわずか300メートルほどのところにあり、昼夜を問わず飛び交うアメリカ軍機の騒音に頭を抱えています。
奥田さん「午後11時を過ぎることもあります。夜遅くヘリコプターなどが飛びますと、せっかく眠りに入る態勢が起こされまして。わじわじーして起きだすんですよ」
日常生活をもおびやかす騒音。しかし、それ以上に奥田さんを悩ませていることがあります。
奥田さん「戦争のときに両親を亡くしているんです。(戦時は)小さかったですからね。戦争のことは細かくは覚えていないんですけど、潜在的に音というのに対してはすごく敏感なんです。トラウマです。要するに」
沖縄戦の悲しい記憶をよみがえられるのでした。
奥田さん「捕虜収容所の横のほうに死体を入れる穴があるんです。母も2人の男の方に両脇と足を抱えられて『1、2の3』ってことで放り投げられたんです。その思いははっきり残っています。それ言うのつらいんですけど。思い出さない日はないですよ」
3年前の一審判決。しかし、那覇地方裁判所沖縄支部は、国に損害賠償を命じたものの、求めた飛行差し止めについては認めませんでした。
奥田さん「(Q:静かな日々が返ってきたらどんなことをしたいですか?)万歳します。今まで70年以上ずっとここで暮らしていて、静かな日々なんて経験していないですからね」
迎えた判決当日。
奥田さん「ドキドキです」
奥田さんが見守ったきょうの判決でしたが、裁判所は、アメリカ軍機の飛行差し止めは認めませんでした。
奥田さん「残念な判決の一言です。こういった不条理な判決は許せませんので、どこまでも闘ってほしいです」