去年12月、京都地裁である訴訟が起こされました。「琉球人遺骨返還訴訟」と呼ばれるものです。90年前、墓の中から、たくさんの遺骨が持ち去られた事件。原告団の思い、そしてそれが今の沖縄に何を問いかけているのか、取材しました。
先月12日、あるバスツアーが企画されました。
「天気も心配していたんですが、私の気持ちが、ウヤファーフジ(ご先祖)に通じたかなと思います」
バスツアーを企画したのは、龍谷大学経済学部の松島泰勝教授たちです。一行が目指していたのは…
今帰仁村運天集落の崖の中腹にひっそりと佇む百按司墓。ここには、第一尚氏時代の貴族たちの遺骨が眠っています。しかしここで、90年前(1929年)ある事件が起きていました。
松島泰勝教授「1928年と29年に、京都帝国大学の金関丈夫という助教授が沖縄にやって来て、遺骨をとっていったわけなんですけど。京都帝国大学の彼の指導教授が琉球に行って、人骨を集めて来いという命令で来たんですね」
金関が、百按司墓から骨を持ち出した際の様子が、彼の著書「琉球民俗誌」に詳しく書かれています。
「完全で良質の頭蓋15個、頭蓋破片十数個、躯幹四肢骨多数を得た。こうして作り上げた大風呂敷包み数個、これを山から運び下すのが大変であった。一切自分一人の仕事だから苦しい」
持ち出された遺骨のうち、26体が今も京都大学総合博物館で保管されています。松島教授は、何度も京都大学に遺骨のことを尋ねました。しかし…
松島泰勝教授「実際、あることは確かなんですね。京大は情報公開制度でも出さないということでありましたし」
去年12月、松島教授たちは、京都大学を相手取り、遺骨を返還するよう訴訟を起こしました。原告は5人。家系図などから、第一尚氏の子孫だと確認されたという2人も含まれていました。
亀谷正子さん「人様の先祖の骨を奪うのは、犯罪行為じゃないかと怒っていますし。この際、私の祖先を返してもらって、平穏を与えてほしいと思っています」
玉城毅さん「そこで拝みをしていたんですけれども、骨が無くなった所で、私は拝みをしていたと。何という空しい気持ちになったかということですね」
原告団の悲痛な訴え。その根底にはある思いがありました。
原告団の団長も務めている松島教授。事件の根っこには、今の沖縄が向き合っているのと同じ闇があると考えています。
松島泰勝教授「米軍基地を押し付けて、日米安全保障の犠牲にし続けている。それはおかしいという声は上がってきているけれど、民意さえも日本政府は聞かない状況。そういう状況と、遺骨の問題は同じ問題だと思う。同じ植民地として扱われていて、それからいかに脱するかが問われていると」
いつも日本とアメリカの間で、揺さぶられ、危険や負担を押し付けられる沖縄。それなら、かつてのように独立してはどうか。そう、松島教授は考えているのです。
松島泰勝教授「独立が決して空想的なもの、居酒屋でしか話せないようなものではなくて、民主主義の母国であるといわれているイギリスでさえ、スコットランドが独立運動をし、カタルーニャもやっているということですね。自分たちが持っている、国際法で保障されている、自己決定権というのを行使する、使っていくというのが世界の大きな潮流であって」
百按司墓に到着したバスツアーの参加者たち。墓前に、花やご馳走を供えて、手を合わせます。
亀谷正子さん「一日も早く、ふにしん(骨神)が返ってくるようどうぞ、見守ってください」
参加者は、松島教授の考えに賛同する人々。彼ら自身も、辺野古や高江で日々起きていることに心を痛めています。
松島泰勝教授「大和には、たくさん天皇陵という貴族たちの墓があるんですよ。ここから研究者が骨をとっていったら大ごとですよね。琉球王家に近い貴族の遺骨をとっていますよね。やぱり差別になりますよね」
亀谷正子さん「若い機動隊が、20代の機動隊が、「土人」と言うじゃないですか。それはね、日頃からそういうのがあると思うんですね。沖縄差別が、根深いものがあって。今の政府でも、表に出さないけど、心の中で差別が巣くっていますよね。差別がとっても嫌なんですよ。人を差別したこともないですし、差別されることも嫌ですから、それが我慢できないんです」
90年前に起きた事件。それは日本の中にあって、沖縄がどう位置づけられてきたのか、そして今沖縄で起きていることに私たちがどう向き合っていけばいいのか、そのヒントを秘めています。