つい10年ほど前まで、県内各地には米軍基地に付随する形で多くの売春街があったことをご存知でしょうか。社会から触れられることがなかった「アンダーグラウンド」な世界。そこに生きた人たちの声を拾い上げ、沖縄のもうひとつの戦後史に迫ったノンフィクションライターを取材しました。
藤井さん「沖縄のために伝えないほうがいいと考える人もいると思うんですけど、そんなことはあり得ない。どんな表であろうが裏であろうが、歴史は歴史としてできるだけ記録していきたい。人々が生きた記録というのを残していきたい」
こう語るのは、沖縄の売春街にスポットをあてた「沖縄アンダーグラウンド」の著者、藤井誠二さん。この日は琉球大学教授で「裸足で逃げる沖縄の夜の街の少女たち」の著者、上間陽子さんとトークショーを行いました。
藤井さん「1日に数十人。そしたらもう体はボロボロですよ。なんで逃げないんだろう、警察に行かないんだろうと考えたんですが、行く子は少ない」
こうした女性たちが身を置いていたのが、外に見えないように社会から隠された街。藤井さんはそんな街に足を踏み入れました。
藤井さん「今はもう看板は全部取り外してしまっているけど、ものすごくきらびやかな装飾があったので、ここだけ発光体みたいに浮き上がるような感じだった」
宜野湾市にあるこの地域には、かつて200軒もの違法風俗店が立ち並んでいました。実は、アメリカ兵による性暴力が多発した戦後、その「抑止力」として作られた『特飲街』だったのです。それは次第に日本人客を相手にした風俗店に姿を変えました。
本には、街に刻まれた記憶が、沖縄のもうひとつの戦後史が記録されていました。
借金に負われ心身が麻痺してまでも働いた女性や、人身売買同然に県外から送り込まれてくる女とその仲介人。そこはまさに社会の「最終地点」と呼ばれる場所でした。
2011年、「沖縄の恥」とまで言われたこの街は、警察や市民、行政によって撤去されました。
藤井さん「市民運動や警察が入って一気呵成に、50年,60年続いてきた街をほんの2,3年で破滅に追い込むという、沖縄では一大運動だったと思います。入り口がありますよね、そこにビラを入れていって、そこには『女性が体を売るなんてことはやめなさい』というビラを入れていって、パトカーがまわるんですよ、そうするとお客さん帰りますよね。警察の方も重点的に取り締まりをしだして」
しかし、藤井さんは、その時使われた「浄化」という言葉に、違和感を感じています。
藤井さん「時代の流れだからしょうがないと考える人もいれば、害虫駆除じゃないんだから、人間が生きてきた街に対して浄化という言葉はないだろうと(いう人もいた)。戦後の沖縄も支えたわけですよね、女性たちがすごく苦しい思いをしながら。様々な思いがあって、そこもなかなか一つの意見にはまとめることができなかった。そういう複雑さも沖縄の街の歴史とリンクしてると思います」
上間さん「モトシンカカランヌーという映画が撮られたという話があるんですが、元手がかからない商売という意味なんです」
藤井さん「さっきその意味を初めて知ったってね」
上間さん「そう、この本で知った。本当に底の底にいた人たちが、何を使いながら生きていこうとするのかっていうことがよく表れている」
かつて売春街で働く女たちはモトシンカカランヌー、元手をかけなくても体を売って生きる女と揶揄されたといいます。
しかし、女性たちが置かれてる状況は決して過去ではありません。上間さんは、今も社会から取り残される多くの女性たちと向き合っています。
上間さん「(モトシンカカランヌーが)印象に強く残っているのは、面影をわかっているような気がするというのもあるし、同時に今私が調査している子の中にも同じようなことがあるわけですよ。ひどい性暴力があって、そのことを聞き取られずに生きていて、おうちの育ちも大変でという方々がいて、連綿と続いていたんだなというのを改めて感じて」
闇に消えた街の歴史を見つめることは、今を見つめることなのかもしれません。
藤井さん「取材したり話を聞いたりした女性たちは、ゆいまーるの外側、共同体や家族、親戚の外側に追いやられてしまった方がすごく多くて、夜の世界でしか生きていけなくなった。子ども抱えて、シングルマザーがほとんどだったし、そういう現実があって、長年それが続いて。沖縄の方から見ればそれは負の歴史かもしれないけれど、その歴史をまず知ってほしい。そしてそこで生きてきた人の言葉を受け止めてほしい」