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歴代の県知事が残した言葉などから直面した課題や当時の時代背景を見つめる「7人の知事」。
3回目のきょうは、西銘順治さんです。
革新から保守へと県政の流れを変え1978年から1990年まで3期12年にわたる長期政権を築いた3代目の県知事「西銘順政」
西銘順治さん「21世紀に向けて平和で個性と活力に満ちた県づくりのために我が県の振興発展、県民福祉に取り組んできた」
西銘さんが掲げていたのは…
「1にも2にも人づくり」
主な功績は県立芸術大学の設立、そして…
「空手と古武術のメラメラとした闘志がこちらまで伝わってきます」
「沖縄でも親しみのあるゲートボール、きょうはこのゲートボールで世界のウチナーンチュたちが繋がりあいます」
また、「世界のウチナーンチュ大会」を構想するなど沖縄の振興を着実に進め基地に依存する経済の脱却をはかりました。
しかし、その一方で…様々なアメリカ軍による事件・事故が相次ぎました。
強盗目的で住宅に侵入したアメリカ兵が住民の男性を刺殺した事件。2人のアメリカ兵が帰宅途中の女性を車で拉致し乱暴した事件。さらには、米軍ヘリの墜落も相次ぎました。
「基地が過密で経済・振興の障害になっている。保守・革新を超えて解決に努力しないといけない」
〝オール沖縄〟の原点は西銘さんにあったという識者の声もあります。
国との太いパイプを強調しながらも改善しない基地問題。「沖縄の心は何か?」と問われた西銘さんは「ヤマトンチュになりたくてなりきれない心」と表現しました。
任期後半、整理縮小も強く訴えた西銘さんもまた、基地問題に翻弄された知事の1人でした。