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沖縄県には復帰以降7人の知事が誕生しました。きのうからシリーズでお送りする「7人の知事」。歴代の知事が残した言葉や直面した課題をみつめていきます。2回目のきょうは第2代・平良幸市さんです。

沖縄県2代目の知事は、平良幸市さん。西原町出身で教育界に従事したのち、西原村長、県議会議長を務めるなど、政治の道を歩んでいきます。

1976年6月、初の公選知事・屋良朝苗さんの後継として、革新の期待を集め、知事選に勝利。同じ社大党の安里積千代さんとの一騎打ちだったこの時の投票率は、過去の知事選で最も高い82パーセントでした。

就任後は、地方自治の確立を訴え、反戦・平和の信念を貫いた平良さん。当時、こんな言葉を残しています。

平良さん「本土の政党に包含されることになれば、沖縄問題を埋没させる結果になるものであります」

軍用地の整理縮小や跡地利用のために「軍用地転用特措法要綱」をまとめるなど、戦後処理に奔走。

そして…右側通行から左側通行への交通方法変更、いわゆる「ナナサンマル」に向け、国の方針と県民の意向との間にたって、力を注ぎます。

しかし、心労がたたったためか、公務出張中に病に倒れました。

平良さんの描いた沖縄を実現するのには短かった2年5か月という任期。時代は3人目の知事へと移っていきます。