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沖縄県には復帰以降7人の知事が誕生しました。12日からシリーズでお送りする「7人の知事」歴代の知事が残した言葉や直面した課題を見つめていきます。1回目の12日は初代、屋良朝苗さんです。
屋良朝苗さん復帰10周年でのインタビューより「『核も基地もない平和な島として回復していきたい』という合言葉になっておった、念願になってましたけどね」
沖縄県の初代知事、屋良朝苗。
屋良さんはアメリカの施政権下にあった沖縄が本土復帰を果たした激動の時代に知事を務めました。核抜き本土並み、基地のない平和な島を願った復帰でしたが沖縄に基地は残り続け、アメリカ兵の犯罪も多発しました。
元県教職員組合委員長・石川元平さん「二度と国家権力の手段として利用されて、沖縄が犠牲にされるようことがあってはならん(という)」
教育者でもあった屋良さんが建てた教育会館、ここには、沖縄戦で犠牲になったおよそ7600人の生徒や引率の教員の名前が刻まれています。
そこには、2度と教え子を戦争に巻き込ませないという願いが込められているといいます。
屋良朝苗知事(当時)「基地のある間は、沖縄の復帰は完了したとは言えない。『基地のない平和な島の回復』といった合言葉に照らしてみたときに、沖縄の復帰問題は、完全に解決したとは、言えないわけであります」
屋良さんは問題を解決するのためには、県民ひとりひとりの力を集めなければならないとも訴えていました。
復帰から半世紀近く経った今、屋良さんが思い描いた沖縄に向かって進むことができているでしょうか?