きのう糸満市で行われた戦没者慰霊祭。様々な人が平和への祈りをささげるなか、会場には、今年初めて慰霊祭に参加した一人の遺族の男性がいました。戦後、孤児となり、波瀾万丈の人生を歩んできた男性の一日を追いました。城間幸勇さん、72歳。今年、初めて慰霊祭の会場を訪れました。城間さんの昔を語るのは、この、たった一枚の写真です。
記者「これ何ですか?」城間さん、言葉に詰まり涙ぐむ「うちの母です。そして僕」
城間さんは、県出身の両親のもと、サイパンで生まれますが1944年、7歳の時にサイパン島の戦闘で両親を亡くします。2人の妹とも行き別れ、バンザイクリフと呼ばれる岸壁から身を投げます。しかし、偶然、木にひっかかり、一命を取り留め、一人、戦争孤児になりました。
城間さん「今までですね、こういう風にして人にも言えなくて、苦しんできたんです。しかし、きょうは」
城間さんは、その後、サイパンの収容所で親戚と再開、終戦直後の沖縄にわたったのです。城間さん「本当に感動しています。皆さんがこういう風に、64年間なさっているということはね。」
時報「ポーン」「黙とう」
城間さんは現在ロサンゼルスに住んでいます。嘉手納基地で働いていた18歳の時、仕事ぶりが認められ、司令官夫妻に連れられ渡米後。これまで、国務省の仕事などに携わっています。
城間さん「これですね。これが母ですね。うちの妹」これまでは、生きることに精いっぱいだったと語る城間さん。城間さん「人に伝えたいという気持ちが出てきましたね。こう平和っていうね」
こうした心境の変化が、今回、城間さんを慰霊祭の会場へと向かわせたのです。城間さん、お父さんの名前を見つけました。親戚や、古い知り合いにも会いました。慰霊の日にこれほど多くの人がこの場所を訪れているとは知りませんでした。
城間さん「ほんとにびっくりしてますよ。だから、私は来て良かったと思いますよ。」「戦争というのはねホントにね、怖かった、第一、失った、第二、だから戦争というのは二度とやってほしくない。」
サイパン、沖縄、そしてアメリカ。城間さんは今後、自分の体験を子どもたちに語り、平和について考えほしいと思っています。