※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
「沖縄戦の縮図」と称された伊江島の戦いで犠牲者を慰霊する、村主催の平和祈願祭が行われ、参列者は平和の誓いを新たにしました。
1945年4月16日、アメリカ軍は、本土への攻撃に備えて「東洋一」と言われた旧日本陸軍の飛行場を占領する目的で伊江島に上陸。
戦闘は、6日間つづき、戦力として動員されたり集団自決に追い込まれた住民、1500人を含むおよそ3500人が犠牲となりました。
島に建立された「芳魂之塔」で執り行われた4月21日の平和祈願祭には、遺族や名城政英伊江村長、玉城知事が出席し、フェリーの汽笛に合わせて黙とうが行われ、歴史を風化させず次世代で語り繋いでいく決意を新たにしました。
玉城知事は「戦後80年の節目の年にこれまでの歴史を振り返り、この教訓を決して風化させることなく、次の世代へ正しく伝えていくことそれが私たちの責務であります」と話しました。
参列した遺族らは、慰霊碑の前に設置された献花台に花を手向け、哀悼の意を捧げました。
参列者は「ミータアブガマ洞穴があるんですよ、自然壕がそこに隠れていた」と話しました。別の参列者は「あの時はね、あんまり煙出したらいかんから、生米を食べさせられた記憶があります」と話しました。
ほかの参列者は「我々の息子とか代々その話がわかっててここに足を運んでくれればいい」と話しました。伊江小学校6年生の児童は「戦争のない平和な沖縄にしたいです」と話しました。
式典では、日本兵が身を隠していたガジュマルの木で作られた「コカリナ」という笛を伊江中学校の生徒が吹き鎮魂の祈りを捧げました。