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80年前の沖縄戦で多くの住民が集団自決に追いやられた渡嘉敷島で慰霊祭が行われ参列者が祈りを捧げました。
1945年3月28日、渡嘉敷島では多くの住民が集団自決に追いやられ、300人以上の命が失われました。
「黙祷」
慰霊祭には渡嘉敷村の新里武広村長や多くの遺族などが参列しました。
渡嘉敷中学校1年の工藤洪明さんが「2度と戦争を繰り返さない」と平和への思いを新たにすると参列者は線香を手向け刻銘を前に手を合わせていました。
母親や妹などが犠牲に大城静子さん(91歳)「いとこが一人も残っていない家族とも全部全滅」「玉砕だから殺されてるんじゃない、手りゅう弾は破裂しなかった」「自分たちは生きて帰ってるから生きてるからね、自分が元気であるまではね、お参りにくるから来年も来れるかねって」
大城さんの孫「最近は高齢者が増えてきて引き継いでいくことができないから、この話を聞いてこれからは伝えていけるように」
当時5歳で体験した座間味昌茂さん(84)「そしてこういうこと(戦争)が子々孫々続くことがないように祈るしかないかなというふうにいつも思う」
読谷村から参列「祖母が手榴弾をひいて不発だったので生き延びたという話は聞いていて、生き延びてくれたので僕がいまここに来れているっていうのは1番大きなことだなと」
遺族らは平和への思いとともに戦争のない世界を改めて誓っていました。