80年前の3月27日は、沖縄戦でアメリカ軍が慶良間諸島に上陸した日です。多くの住民が集団自決に追いやられた座間味島では、10年ぶりに慰霊祭が行われ、慰霊碑を前に戦争の悲惨さを語り継ぐ決意を伝えていました。
234人が集団自決に追い込まれた座間味村の慰霊祭は、5年に1回行われてきましたが前回は、コロナ禍で見送られ10年ぶりの開催となり村民や遺族・関係者などおよそ200人が参列しました。
慰霊祭で座間味村の宮里哲村長は、父親が10歳の時に目の当たりにした集団自決を中学生の娘が聴き取りした作文を読み上げました。
宮里村長は「私の祖父は、ガマに逃げここには、学校の校長先生やたくさんの村民がいた。校長先生は、僕の前でカミソリをだし奥さんを切りつけたんだよ」「僕も血を浴びて死んでいくところを見たとても怖かったさー。まだ小学生だった祖父にとってこの無残な光景が一生消えることのない場面になった」と読み上げました。
宮里村長は、公的な立場で身内の体験を話すことにためらいもあったとしながらも戦後80年の節目の年に自分たちの世代が率先して語り継いでいくと約束していました。
また、玉城知事は慰霊碑に平和への努力を続けると誓っていました「私たちは、先の大戦を通して、戦争の恐ろしさと平和の尊さを学びました」「世界の恒久平和を願い、地域の平和構築や、相互発展へたゆまぬ努力を続けていくことをここにお誓い申し上げます」と述べました。
当時壕で生き延びた遺族代表の高江洲敏子さんは、「あの怖さ、つらさを2度と子孫には体験してほしくありません」と話していました。
参列者の高齢の女性は「子孫が今からどういう世の中になっていくか2度とそういう戦争をしてほしくないと思いまして」と話します。また中学生は「自分たちがおじいちゃん、おばあちゃんの代わりに話しを継承していったりすることが戦争の話しをつなげるには大事なんだろうなと思います」と話し父親を亡くした男性は「(日本は)豊かすぎて何もかもが風化するのが心配だからこううこと(慰霊祭)は続けてもらいたいね」と話していました。
80年前、集団自決によって234人の命が奪われた座間味島。参列した人々は、鎮魂の祈りとともに平和を伝える決意を新たにしていました。