今日は、アメリカ軍基地の中に存在する沖縄の歴史文化遺産について特集します。戦後80年が経過した現在も、軍基地の中には沖縄の歴史と信仰を物語る歴史文化遺産が残されています。その一つ、天願コシ森(クシムイ)の御嶽を取材しました。
軍の管理下にあるため、県民には、ほとんど知られていないこの場所です。しかし、それは私たちの歴史文化遺産であり、未来へと受け継ぐべきものです。メカラー・クラフト・ジュリア記者の取材で、基地の中にある沖縄の歴史文化遺産の現状を探ります。
メカラー・クラフト・ジュリア記者「うるま市天願周辺にあるアメリカ軍基地の中には、沖縄の信仰や歴史を象徴する御嶽や歴史文化遺産が複数存在します」「その一つ、天願コシ森(クシムイ)の御嶽は、キャンプコートニー内にあって、かつて天願の村を守る神が祀られる場所でした」
「しかし、戦時中の基地建設によって、御嶽は基地の一部となりました。その結果、住民の日常から切り離され、自由に参拝することが難しくなっています。今回は、この場所の歴史と現状、そして、御嶽を通して見える基地と沖縄に暮らす私たちの現状や関係について取材しました」
天願コシ森(クシムイ)の御嶽は、住民が日々祈りを捧げる大切な場所でした。しかし、戦時中、アメリカ軍が基地を建設するために土地を強制収容し、自由に参拝することができなくなりました。

照屋さん「話によりますと、かつては現在のコートニーの中に集落があったと聞いております。これ、いつ頃かわかりませんけども、それでその後ね、何年頃からなんですかね、そこが基地にね、収容されたというんですか。基地ができた。でも、今は、現在は基地の中にね御嶽があるわけですね」
現在、天願コシ森(クシムイ)の御嶽を含む、基地の中の歴史文化財を訪れるには、事前に軍への申請が必要となります。
照屋さん「これ自治会でも一緒です。基地の中にコートニーの中に入る時はね。申請書を出して。御嶽にですよ、守護神がいますので、そこに年頭と言いましたね。年頭、初拝みですね。ことし1年、ね、区の発展と、各家族のね、安寧を願い、お願いしますということで、代表者の皆さんを連れて申請して、1月3日の年頭拝みに行きます」

そんな中、天願コシ森(クシムイ)の御嶽の存在を知り、自ら修復に取り組んだアメリカ軍関係者がいました。ジョージさんとその息子です。
ジョージさんは海兵隊の幹部として沖縄に配属され、コートニーで生活をしていた2014年、長らく放置された御嶽の看板を目にしました。
ジョージさん「私がランニングや運動をするとき、鳥居がすぐそばにありました。拝所も自分が住む家の隣にありました。拝所の近くを歩いていると、鳥居がすっかり傷んでいて、看板も錆びついてボロボロになっているのが目に入ったんです」
ジョージさんは、基地司令官に相談し許可を得た上で息子とともに修復を始めました。
ジョージさん「翌日には基地の施設管理担当がすでに動いていました。看板の金属部分を取り外し、サイン工房に持ち込んで完全に作り直してくれました。その後、私はメイクマンに行き、赤いペンキを選んで購入しました。そして、息子と一緒に古い塗装をすべて削り落とし新しく塗り直しました。看板はおそらく1週間後くらいに元の場所に設置されました」

修復された看板を元の場所に戻すことで、基地の中に住む人に、この場所が地元の人にとって大切な場所であると知ってもらう事が出来ました。
修復の事を知った地元住民は。
照屋さん「いいことやってくれたなとね。そういうやっぱし歴史文化に対する意識が高くないと気が付かないですよね。その大切さをわかっていた方なんでしょうね。」
基地の中の御嶽はアメリカ軍の管理下にありながらも、沖縄の歴史や文化の一部として存在し続けています。長い時間、築いてきた歴史や文化が、沖縄戦や戦後に、軍による土地収用で分断された地域は多くあります。記憶を風化させないための取り組みが急がれています。

ジョージさん「沖縄の人々が必ずしもこの拝所に自由にアクセスできるわけではなく、実際に訪れる人も多くないことを考えると、自分たちで修復し、整備することが重要だと思いました。だからこそ、軍のコミュニティとして基地内の施設を管理し守る役割を担うことは重要だと考えています。」
「私にとっても、これらの拝所や礼拝の場を維持し、適切に管理していくことは私たちの責任だと思っています。年に一度、あるいは半年に一度でも、基地側と地元の人々が協力して拝所を開放し、皆で敬意を持って訪れる機会を作ることができればいいのではないでしょうか」
照屋さん「別に基地の中にある聖地がいいとか悪いとかじゃなくてね、基地があるがゆえに管理されているところもありますし、今後とも今の状態を維持するしかないだろうなと思っております。ただ、区民もですね、沖縄の県民はそうですけど、その聖地に対する思いはね、すごい強いものがあるとあると思いますので、この聖地をですね、本当に大事にしていかなければならないんじゃないかなと、私はこのように思います」

今回の取材を通して、基地の中にある歴史文化遺産の存在を改めて知ることができました。
メカラー・クラフト・ジュリア記者「はい。天願コシ森(クシムイ)の御嶽のように、基地の中には今も沖縄の歴史文化遺産が数多く存在しています。それらは、アメリカ軍の管理下にあるとはいえ、沖縄の文化財として私たちが主体的に関わって継承しなければならないものです」
「そして、こうした存在が普段の生活の中で意識される機会が少ないことで、次第に人々の記憶から薄れ、伝承の流れが途切れてしまうことも懸念されます。だからこそ、今、一度その価値を見つめ直し、未来へとつなげていくことが必要なのではないでしょうか」
「戦後80年、基地の中にある歴史文化遺産をどのように守るのか、今後も考え続ける必要があります」
ここまで、メカラー・クラフト・ジュリア記者とお伝えしました。