14年前、沖縄から遠く離れた東北を襲ったのは最大震度7の大きな揺れでした。故郷を思い支援活動に奔走した女性。そして子どもたちに命を守る大切さを伝え続ける小学校では今も震災の教訓が生かされています。
岩手・陸前高田市きょう午後2時46分。
玉木千春さん「今まで」「その時間だけは必ず座喜味城址に登って読谷で一番高いところだから」「正確ではないかもしれないけど」「東北の方を向いて祈っていた」

読谷村に住む玉木千春(たまき・ちはる)さん。宮城県仙台市出身で27年前から沖縄で暮らしています。大きな地震と津波が故郷を襲った2011年、被災地の子どもたちを思いある活動に奔走しました。
宮城県山元町震災遺構 中浜小学校
その舞台になったのが、宮城県山元町の海沿いにあった中浜小学校(なかはましょうがっこう)14年前のきょう校舎には2階の天井まで何度も津波が押し寄せましたが、90人の児童や住民は屋上に避難。命をつなぎました。

それは玉木さんがSNSで見つけたあるメッセージがきっかけでした。
玉木千春さん「(SNSで)中浜小学校の先生が被災した話をしていて、みんな元気だけど卒業式ができない」「寂しいみたいな」「何か手伝いができないかなと思って」
卒業式を目前に控えて起きた東日本大震災。家族や親戚を亡くし卒業式もないまま巣立っていく子どもたちを思う一心でした。
旧中浜小学校教諭(当時)小川仁志さん「何とか助けてあげたいという気持ちが全国いろんなところにあるのは分かっていた」「写真を何とか取り戻して失った人たちに渡したいですと(発信した)」

中浜小学校では3月にできなくなった卒業式を夏休みに行うことを決めましたが、児童たちの写真や思い出の品はすべて津波に流され卒業アルバムを作れずにいました。
旧中浜小学校教諭(当時)小川仁志さん「中浜小を離れた先生たちにも呼びかけてデータを集めて」「3カ月の準備期間があって当日に配ることができた」
被災地では失った写真を集め、沖縄ではその制作費用を募りながら視聴覚室で行われた卒業式に参加した生徒など200人に写真とDVDを贈ったのです。
玉木千春さん「振り返る時に『あんなこともあったけど』と何かひとつ勇気を持てるものになってくれたらいいなと思って活動していた」

旧中浜小学校教諭(当時)小川仁志さん「(3.11には)学校で子どもたちに震災のことを話す」「沖縄から(支援を)もらったということを思い出すきっかけになるし、伝えるもののひとつになっている」
故郷に思いを寄せ子どもたちを支えようと活動する中で芽生えたのは、震災の教訓を被災地から遠く離れた沖縄で広めることでした。
玉木千春さん「中浜小学校の置かれた状況は海から300メートルしか離れていない」「沖縄はどこにでもある話じゃないと思った」「手伝いながら自分に置き換えて沖縄の人にも考えてほしいと思った」
恩納村立安富祖小学校

その思いは沖縄でも広がっていきます。海からわずか50メートルしか離れていない恩納村の安富祖小学校。宮城県の大学を卒業し当時教諭を勤めていた山内久江(やまうち・ひさえ)さんは玉木さんの活動に賛同。児童たちに呼びかけ集めた義援金を中浜小学校に贈りました。
恩納村立安富祖小学校山内久江 校長「卒業を前にして子どもたちがアルバムを作れないとか、卒業式をできるのかとか話を聞いた時にどうしたらいいんだと」「同じような学校に勤めている立場として」「できることはないかというところが出発だった」
あれから14年が経ち、今は校長として「避難訓練の大切さ」を児童たちに伝えています。

震災を機に全校児童を集める目的だった避難訓練を見直し、津波から命を守るための訓練を年に2回行っています。住民にも津波が来ることを大声で知らせるなど、地域の人々がともに助かるための訓練です。
恩納村立安富祖小学校山内久江 校長「命を守ることを子どもたちに伝えていきたい」「それを家族や地域に広げてみんなで助かることができるといい」「職員が経験すれば他の学校でやってみようとつながっていくと沖縄県の子どもたちの意識も上がっていくかなと思っている」

玉木千春さん「素晴らしい」玉木さんは県民が防災について考え、沖縄ならではの方法で災害から命を守ってほしいと考えています。
津波警報が発表された県内去年4月3日
玉木千春さん「ゆいまーる精神だったり、隣近所に誰が住んでいるか分かっていたり、普段からつながりが濃い」「地域の人たちがつながって助かる人たちを増やしていくことを考えてほしい」「いろんな人をつながないと助からない」「沖縄は好条件」「みんな模合があったりうまくつながるシステムがあるから、それを生かして沖縄スタイル(の防災)を作ってほしい」

東日本大震災から14年。未曾有の災害を教訓に日々の備えが求められています。
14年前、中浜小学校では避難場所となっていた中学校に逃げることが難しいと判断して屋上に避難しました。避難にかかる時間と津波が来るまで時刻を考えての判断だったそうです。いざという時マニュアル通りの行動では命は守れないということを教えてくれています。
沖縄で命を守るための方法を沖縄で見出すために玉木さんの活動は続きます。